秋田市寺町大悲寺の坐禅会秋田維摩会の会長をつとめています。歴史のある市民の坐禅会で師家は臨済寺専門道場師家及び花園大学学長・阿部宗徹老師です。 おちこぼれ会長ですが、何故こんなに禅や仏教はむずかしく教えるだろうか、本質を簡単に一般市民にも、分かりやすく伝えることが出来ないものかと、常々考え続けています。
2008年12月31日水曜日
■阿部老師の干支色紙
2008年12月26日金曜日
■映画 禅が公開されます
2009年1月10日から 映画 禅が公開されます。来年は「禅ブームに火がつく」 とどなたかが言っていましたが、予感がしますね。
モデルは、曹洞宗の開祖道元禅師です。
ところで、主人公の中村勘太郎さんと、秋田維摩会の摂心会にもお出でになっている、静岡の臨済寺で修業中の「G」さんとそっくりなんです!!ビックリ!! 公開が楽しみです。
(C)2009「禅 ZEN」製作委員会混迷を極める現在、禅ZENが世界に与える希望ははかりしれない。750年前の乱世の鎌倉時代、困窮する人々や戦で滅ぼされた怨霊におびえる時の権力者の苦悩を、自らもひとつになって受けとめていった孤高の人、道元禅師。彼によって導かれた“禅ZEN”の教えは、今なお人々の心に輝き、その光を失わない。
[ 2009年1月10日公開 ]
2008年12月22日月曜日
■2009年(平成21年)坐禅会日程
2008年12月21日日曜日
■国立博物館で阿部老師の講演会
2008年12月12日金曜日
2008年12月3日水曜日
■秋田ヒューマンクラブ投稿
秋田で104年の歴史
秋田維摩会の坐禅
秋田維摩会会長 石井護
一、秋田維摩会とは
秋田維摩会は、秋田市寺町大悲寺(臨済宗)で104年の歴史を刻む、一般市民のための坐禅会です。道場主は笹尾宗古住職で毎月第三土曜日が例会です。秋田の各界の人々が100年以上修行を積んできた大きな理由は、毎年秋に京都から老師(禅の指導者)が訪れ、集中坐禅会(摂心)が行われることにあります。今年の集中坐禅会の様子をふまえながら、坐禅会とはどんなものかお伝えします。
二、阿部老師のご到着
十月十一日午後二時阿部老師が秋田空港ご到着、会員一同がお迎えします。阿部老師はにこやかなお顔で「やあみなさんこんにちは!お久しぶり!」と気さくに降りてきました。阿部宗徹老師は静岡市の臨済宗専門道場、徳川家康ゆかりの臨済寺で二0名の雲水のご指導の傍ら、花園大学学長を務められております。静岡と京都を新幹線で毎日というくらい往復する、超多忙なお方です。それなのに、秋田に四日間も滞在し指導していただけるのです。
三、夜の坐禅会
①午後六時に和合のお茶
大勢の市民や、静岡からの修行僧も参加し、一年ぶりの集中禅会(摂心)が始まります。「これから四日間よろしくお願い致します、集まった人々が和合して修行します」という儀式のお茶をいただきます。
②坐禅
約二〇分の坐禅を二回行います。雲水(修行僧)がケイサクを持ってゆったり回ります。眠くなったり、集中できなかったら、近くまで来た時に、合掌の合図をしてケイサクをお願いします。前にかがんで雲水のケイサクで打たれると、「ビシッ、ビシッ」と小気味よい音がして気持ちが引き締まります。決して罰で打たれるということではなく、自分で求めて打たれます、気持ちがいいもので私は坐禅会の楽しみの一つです。
③午後七時からは提唱(講話)です。
漢文のテキストをもとに老師の講話があります。昨年までのテキストは「十牛図」でした。修行の段階を牛との関係に合わせて十段階に説いたもので、一般にも知れ渡ったお話です。今年からは「臨済録」となりました。阿部老師の最も熱の入る提唱です。難しいお話ですが老師は文章の解釈だけでなく、一般事例をひきあい、易しく解き明かします。これから何年かに渡って「臨済録」が続きます。
④午後八時からは参禅です。
いよいよメインの参禅です。参禅というのは老師からいただいた公案(問題)
の解答することです。いわゆる禅問答で、臨済宗の特徴です。
本堂で坐禅をしていると合図があり、順番に廊下で待ちます。自分の番がきたら鐘を打ち鳴らし、老師のおられる奥の間に向かいます。奥の間では、普段は柔和な老師が鬼のように見えるのですから、緊張し震えが来ます。老師に公案を答え、終わったらチリリンと鐘が鳴らされ、戻ります。また本堂に戻って坐禅を続けます。この参禅はこれから八回行われます。
全員が揃ったら今日はこれで終わり。自宅に帰ります。
四、朝の坐禅会
①午前五時半から読経
朝は五時半までにお寺に到着し、着替えます。五時半から六時までは読経の時間です。「般若心経」と「坐禅和讃」以外は、大体が意味不明なお経ですから、朝の体操と考え、お経に合わせて腹式呼吸をやっています。大声で唱えて下腹の丹田に力を入れます。
夜と同じく参禅です。
③粥坐(朝食)
参禅が終わったら粥坐(朝食)です。老師も参加し皆で朝食の坐につきます。
作法に従っての食事は、雲水がご飯、みそ汁、野菜のおひたしと漬物を順番に持って廻ります。一汁一菜の食事を感謝しながらいただきます。音を出さずにタクアンを食べるのはなかなか大変、それに食べるが結構早いのです。臨済宗は何事においてもキビキビしています。大きな釜で炊いたご飯やみそ汁はおいしいものです。特にこの頃は秋田こまちの新米が出ますので特においしく感じます。
④茶礼(お茶会)
朝ご飯が終わったら、老師を囲んでお茶です。先ほどの鬼のような顔がもういつもの柔和なお顔になっています。雲水さんが立ててくれた抹茶、そして京都のお菓子をいただきながら、世間話や禅の話などに花が咲きます。お茶を何度かお代りしながら楽しいひと時を過ごします。
五、日中の行事
①二日目の午前中には、五人の雲水(修行僧)による托鉢があります。コースは大悲寺から秋田駅まで、秋田駅から通り町経由で大悲寺まで。五人が揃った托鉢姿は壮観です。「ホーー ホーー」と大きな声を出しながら歩きます。秋田市民にはなじみが薄かったのですが、四年目になりましたので、秋田駅では市民がお布施をし、雲水から読経をいただく風景が目につくようになりました。
②三日目の午前中は、阿部老師の講演会が大悲寺であります。「今を生きる」が演題で、大勢の市民が大きな感動をいただきました。
この講演の前に、会員であり、剣道の達人であるYさんに「『「剣と禅』現代の護身に生かす剣」を披露していただきました。Yさんは若い頃から剣道を修行し、あるとき「剣と禅」で有名な山岡鉄舟に共鳴して坐禅会に入ったものです。Yさんは「今があるのは坐禅のお陰」と言っております。坐禅がなぜ必要だったのかを先人の言葉から引用してみます。
六、なぜ坐禅をするのか
①武道における精神作用の極意は「全身これ精神」でなければならない。どのようにすればこのような域に達することができるか。これには二通りがある。
一つは二十年三十年の長い歳月、全身全霊を打ち込んで苦練修行した結果に到達する。もう一つは瞑想等の特別な方法で意識統一の錬磨をやってその域に到達する。前者によることは無類の健康人で、気根精力とも絶倫な異常人でなければ不可能で、到達した人は古今を通じて非常に少ない。そのため古来からその道で技に熱中する反面、禅を修し、瞑想を凝らし、精神錬磨に努力して「全身是れ心」の奥儀に達する道を選んだ達人が少なくない。
②「全身是れ心」となる方法とは、まず初めに雑念を取り去り意識の統一ができるようになることが必要。それには精神を一定の場所に集め、一定のことに集中する稽古に熟さなければならない。一定の場所とは丹田のことである。その凝固した精神力を次第に全身に拡充する。これが昔から「気海丹田で心を練る」ということである。(以上は丹田呼吸法の藤田霊斎師より)
③臨済宗の坐禅では公案をもとに修業します。公案の最初は「無」であり、「ムームー」とやっています。これは一定の場所に精神を集中することをねらったものです。私の身体といのち(大いなるいのちと繋がったもの=潜在意識の奥にあるもの=本当の自分)とが一体になることを修行し、次には私の身体といのちの働きが一体のなることを修行します。いつかは「念ずれば花ひらく」ことになります。武道でも我々の仕事でも同じことが言えます。現代で禅を修めている人には中曽根康弘氏、稲森和夫氏等がおります。
七、良き師との出会い
最終日は朝の行事を終わり、維摩会物故者の追悼法要を行い、秋田空港へお送りして終わります。
「太上は天を師とし、その次は人を師とし、その次は経(本)を師とす」と古書にあります。今は天を師とすることはむずかしい時代です。もちろん本で勉強はします。われわれ秋田維摩会員は、坐禅会で現代の最高の師に出会い、直接指導を受けることの幸せに感動いっぱいです。
以上秋田維摩会の集中坐禅会の様子を通して、坐禅のご紹介をさせていただきました。例会は毎月第三土曜日午後二時から大悲寺において開催されております。どなたでもお気軽にお出で下さい。春と秋には阿部老師にお会いできますよ。
2008年10月28日火曜日
■武道と腹・・・丹田呼吸法(4)
2008年10月27日月曜日
■武道と腹・・・丹田呼吸法(3)
4-1、雑念を取り去り意識の統一
精神を全身に充たす、即ち渾身これ魂となるには、まず初めに於いて雑念を取り去り意識の統一が出来るようになることが先決問題である。言い換えれば、精神を一定の場所に集め、一定の事に集中する稽古に習熟しなければならないのである。
然らばその一定の場所とはどこか。その場所は丹田であり、事は敵手である。まず丹田にウムと精神を集注する。そして敵手に全心をそそぐ。
4-2、精神力を全身に
この精神の丹田における集中と、敵手への一心が凝り固まり、凝り固まった結果、それが漸次に拡充する。即ち始めは丹田にのみ凝固して居った精神力は次第に拡充して、遂に全身に及び、ここに全身ことごとく精神となり、心識となって沢庵禅師のいわゆる「心を何処にも置かねば、わが身いっぱいに行きわたりて、全体に伸びひろがりてあるほどに、手の入るときは手の用を叶え、足の入る時は足の用を叶え、目の入る時は目の用を叶え、その所々にっゆきわたりてあるほどに、その入る所々の用を叶うなり」とある。そこにまで到達することになるのである。
4-3、丹田に精神を集注する目的
それ故「丹田に精神を集注する」ということは、最初の手段であって最後の目的ではない。けれどもその最初の手段に於いて成功しなければ、容易に最後の目的点に到達することは出来ないから、そこで腹力を養成してそこに精神を集注し、そこに気力を養わねばならぬということを唱道するのである。
■武道と腹・・・丹田呼吸法(2)
3-1、方法は二つ
①30年、40年と長い歳月全身全霊を打ち込んで苦練修行し通した結果、それも天分豊かな人のみ。
②何か禅とか瞑想とかの特別の方法により意識修練の錬磨をやってその域に達する。
3-2、「苦練修行」の場合
苦練修行によるのは容易のことではない。第一に体質の優れた無類な健康人であって、しかも気根精力ともに絶倫の異常人でなければ、断じて不可能である。古往今来その道に一身を投じてしかも名をなし、家をなした者の少ないのはこのためである。
3-3、「禅・瞑想」の場合
そのため古来から、その道に入ってその技に熱衷し、一面において禅を修し、瞑想を凝らして精神錬磨に努力し、かくして「全身これ心」の奥儀に達する道を選んだその道の達人も少なくないのです。
しかし禅や瞑想であっても、昔の超常的傑物であって始めてようやくその堂奥に入ることのできる難行道であって、体質気根ともに劣弱な現代人ができるものではなく、「入る者兎毛の如く、成る者麟角の如し」が実際であることから推して知ることができるのです。
3-4、「腹の力」による
そうであるなら、いかにしてその要諦を掴むことができるのか。それは「万芸の奥儀真髄は腹に凝固せる気力によってのみ把握さるるのである」という。その腹の力、腹に凝り固まった精神気力、それによってのみその奥儀も真髄をも我がものとすることが出来るのである。
要するに剣道は無論、全て武道の極意は、腹の気力要請によってのみ得られることになるのである。
■武道と腹・・・丹田呼吸法(1)
道祖・藤田霊斎より引用
・武道と腹
昔から「気海丹田で心を錬る」ということがおしえられてあるが、このことは精神を丹田に集注することをいったのである。即ち意識の統一を腹でしようという、言換えれば、腹に意識を集注する、即ち気力をそこに満たすということである。
しかし、それが剣道の極意かというと決してそうではなく、剣道の極意としては、沢庵禅師「不動智神妙録」に説いている「全身これ心」がそれである。
2、心をどこに置くか
2-1、「心を臍の下に押し込め、余所にやらず」
仏法の工場の段より見れば、臍の下に押し込めて、余所にやらぬというのは、まだまだ修業段階のことである。
臍の下に押し込んで他所へやるまいとすれば、やるまいと思う心に心を取られて、先の用が欠け、殊のほか不自由になるものだ。
2-2、「そうすれば何処に心を置くべきか」
右の手に置けば右の手に取られて身の用が欠ける。心を眼に置けば、眼に取られて身の用が欠けるのです。右の足に心を置けば、右の足に心を取られて身の用がかける。何処なりと心を一つ所に心を置けば、他の方の用ははみんな欠けるのです。
2-3、「然らば心を何処に置くべきか」
何処にも置かなければ、わが身にいっぱい行き渡り、全体に延びひろがってあるから、手の入る時は手の用を叶え、 足の入る時は足の用を叶え、目の入る時は目の用を叶え、その入る所々の用を叶うのである。もし一か所に定めて心を置けば、一か所に取られて用を欠くのです。
思案すれば思案に取られることになるから、思案をも分別をも残さず、心を全身に捨て置き、一か所に止めないでいれば、その所々にあって用を外さないで叶うのです。
正心とは全身に心をくばって、一か所に付かないことをいう。
偏信とは心が一か所に留まって、一方が欠けることを偏心という。万事にかたまることは偏に落ちるといって、道にあって嫌うことなのである。(あいだみつを「やわらかいこころ」)
2-4、「全身これ心」
どこに置こうという思いがなければ、心は全体に伸びひろがり、行き渡るものである。心をどこにも置かずに、敵の動きによってその場その場心をその場所場所で用心すべきか。全身にわたってあれば、手の入る時には手にある心を使うべし。足の入る時には足にある心を使うべし。 ただ一か所に止めない工夫、これみな修業なり。
2008年10月18日土曜日
■2008年大摂心会終了
すべて終わって記念撮影
雲水(修行僧)は、ここが終わっても修行の連続です
お寺に感謝「般若心経」!!
さすが阿部老師のもとの修行僧。いいお顔になっています!!
皆さんに作法を原点から教えていただきました。また来年もよろしくお願いいたします。
■阿部老師の禅の講演会開催される
大悲寺の、阿部老師による大坐禅会(摂心会)が2008・10・11から14日まで開催させました。・朝昼晩の参禅(いわゆる禅問答)・臨済寺修行僧との托鉢(大悲寺から秋田駅、秋田駅から大悲寺)・安部老師の禅の講演会「今を生きる」、前段に剣道の名人による『「剣と禅」現代の護身にに生かす剣』の実演・鎌田勉カメラマンが修行の傍ら写真を撮りましたので後日ご披露します。
老師公演の前に、会員の山部さんの『「剣と禅」現代の護身に生かす剣」をご披露いただきました。
さすがは、剣道教士7段の名人でした。中段の構えは「待て」、上段の構えは「打つぞ」。素人は中段のまま動かすな・・・。などなど参考になりました。
山部さんは山岡鉄舟の「剣と禅」の影響を受け、禅の修業しながら剣道の道を究めようとしております。
阿部老師の公演は「今を生きる」
詳細は次回。
2008年10月15日水曜日
■公案の体系
二 公案
数息観で身心一如となればそれでもう禅は完成でそこまででいいかというとそうではありません。その境涯に安住してしまうのは禅の、大乗仏教の大慈大悲の精神につながりません。そこで公案によって常見・断見を打破し、「小さな自己の壁を打破して宇宙的霊性の自覚にまで向上発展せしめ」(前著)ることが大切なことになるわけです。
現在実践されている公案は、そのほとんどすべてが江戸時代の白隠が体系化したものです。それによると公案は次の五種類に分類されています。
① 法身
この法身の則は公案の中でももっとも基本の公案であり、これによって一度自己をすべて否定し去り、「自己本来の面目」に気づかせてくれる、いわゆる「見性」体験をもたらしてもくれる公案です。
この代表的なものが「趙州無字」と呼ばれる公案です。これは無門慧開禅師という方が著した『無門関』という書物の第一則になっている公案です。
詳しい解説は専門書に譲ることにしたいと思いますが、ここではとにかく「法身の則」として、「通身」に、頭の天辺から足の爪先まで、体中で「無字」に参じて、吐く息も「ムー」、吸う息も「ムー」と、自分を空じていくというか、自分を「無」にしていくということです。それが「虚無」の「無」ではなく「有無」の「無」でもないという、そういう意味を越えた「ム」というのです。そうして修行していくといつか自分という小さな自己が砕け散って、宇宙的な人格、つまり「法身」が現われてくるというわけです。「法身の則」というのはそれに気がつくというか、それが身体でわかるということだと思います。一度否定し尽くした上での大肯定ということです。
次にこれも有名な「隻手音声」を紹介しておきます。
白隠云く、「両掌打って声あり、隻手に何の音声かある。」
両手を打てば音がします。これはわかります。ここでは片手の音を聞いてこい、というのです。世間的な常識では考えられません。これもやはり「無字」の公案と同様で、「通身」に、頭の天辺から足の爪先まで、体中で「隻手」に参じていきます。そうして修行していくとやがて「隻手」が見えてきます。「隻手」が聞こえてきます。
② 機関
公案の基本は「法身」ですが、それだけでは「一枚悟り」と言われ、日常生活の中で働き出るということができないと言われています。そこでこの「機関」の公案でこの働き、「用」ということを練っていきます。
ただし初めは公案を与えられても、その公案が「法身」なのか「機関」なのか分かりません。何度も独参入室して、何度も振鈴を鳴らされて、そういう中で「働き」として工夫し、練っていくわけです。これらはもう実参しないと意味がないと言いましょうか、わけが分からないと思います。ということもありますので、まだ実参されていない方は是非とも実参していただきたいと思います。
その有名なものとして傳大師の「空手にして鋤頭を把り、歩行して水牛に騎る。人橋上より過ぐれば、橋は流れて水は流れず。」という偈があります。
③ 言詮
これは言葉で表現するということです。禅の、あるいは仏教の、さらには宗教の、究極のところのものは言葉では言い表すことはできないと言われています。そこのところをあえて言葉で表現するとどうなるのか、ということがこの「言詮」の公案ということです。禅の言葉は支離滅裂で何が何だか全く分からない、人をバカにしたような表現だ、というふうにも言われていますが、この、言葉で表現できないところのものをあえてもう一歩突っ込んで、言葉で表現しようというのですから、そこで用いられる言葉はそういうふうにならざるをえないわけです。言うならば、言葉を超えた言葉ということです。
仏とはどんなものかと問われて、「乾屎 (屎かきべら)」と答えたというのは有名な公案です(『無門関』第二十一則)。仏という非常に尊いものを不浄な屎かきべらと言うのですから、たいへんなものです。そこのところにどう目をつけるか、そこが工夫のしどころです。
④ 難透
これは透ることが難しい公案ということです。しかし、ただ透るだけではなく、真にその境涯に至ることが難しいという意味を含んでいます。公案の数をたくさんこなしても、その境涯に至らなければ、単に頭の体操で終わってしまいます。
白隠八難透というのがあります。「疎山寿塔」「牛過窓櫺」「乾峰三種」「犀牛扇子」「白雲未在」「南泉遷化」「倩女離魂」「婆子焼庵」というのがそうですが、いずれも透るのももちろん難しいですし、その境涯にまで到達することは並大抵ではありません。
⑤ 向上
「更に参ぜよ三十年」という禅語があります。「三十年」というのは限りがないということです。どこかで満足して腰を落ち着けてしまっては、その途端に野狐に落ちます。常に「向上」していかなければ菩薩とは言えないわけです。
2008年10月14日火曜日
2008年10月10日金曜日
■阿部老師提唱「十牛図」(六-1)
六・帰牛帰家(きぎゅうきか)-1
マドンナの公演に6万人、東京ドームで5万円なのに。つま恋の公演に3.8万人。
それは生き方(主張に)・・・共鳴した人々
問題提起
悩める老師・・・死刑執行について
執行する側・・・・・執行される側。 共鳴する側・・・・・共鳴しない側。
マホメット・・・預言者・・・神の刑罰・・・それを起こしたが
・啓示のときは神と同じ(コーラン)
・普段は普通の人(言行録」)
聖戦(ジハード)を正しいと信じ切っている。
禅宗教には経典がない。・・・問題提起
不殺生と言いながら、人が殺した肉を食べる・・・いいのか?
自分の物差しで判断・・・共鳴するかどうか
お釈迦さまは「近づいてはならない」・・・「危ういものに」
アナン尊者は・・・「仏の顔も三度まで:」と言われた(セクハラで)・・・「近づくな」
今は車です。当たり屋がいるから。
顧客満足度
何もないところから出る・・・十牛図
昔は・・・恵み、 今は・・・幸多い(外からやってくる、ハラいっぱい)
天地の恵み・・・不満足・・・探しに出た・・・十牛図である
○の中・・・永遠の恵みの牛
牛の姿(4つ、全身3)
十牛図は ○・・・初めからこの輪の中にいる
帰牛帰家・・・この輪の中にいることを納得した状態
どこに行く必要もなかった。ここでよかったのだ!!
・権威づけのためのブランドが必要・・・外には
・自分にはブランド不要
そのままの歌(俗曲)でよかった
目に見えるものすべて
悟り・・ひらきなおる(自分の世界に・ありのまま)
自分の今の姿を受けいれろ!!
真に求めれば・・・問題解決する
■阿部老師提唱「十牛図」(五-3)
五、牧牛-3
牛も純熟・・・想いが行きわたった。
○―○=◎ 余すことなく、足りないことなく備わった。
仏も哲人も、普通の人も・・・・「花は紅 柳は緑」
誰にも同じ・・・苦しみ、悲しみ
違いは、それによって我を忘れることはないこと。
鏡はすべてを写す、残像は残らず=鏡がけがれないこと。
(プロゴルフアーがミスショットをしても・・・その余韻を残さない)
綱を引っ張れば引っ張るほど・・・本来はあるのだが・・・
今までのままで・・・つまづきながら生きているあかし
「青い鳥」は、求める人を笑ってうっちゃるだけ
「人生至る所青山あり」・・・古来の解釈では。
・泣くときは泣く 笑う時は笑う・・・目の前の環境に流されない
・鏡に写るよう(主体性)
泣く、悲しみ、笑い・・・ねたみ、怒り・・・命の光、私の人生。平然としているのではない。
ひとつひとつ乗り越え 気高くなった。
今さら逃げもしない。今のこの場で、いのちが輝きどうしではないか。
人格形成、自己実現・・・時間必要
苦節の式目があればこそ・・・一朝一夕ではできない。
やっと出会った牛(恋人)を見つけ、やっと一緒になった。
理想の追い求めた人・・・えっ、これが、この人が
①別れる
②乗り越えて仲良く・・・空気のような仲(歳月が人を変える)
秋田維摩会会員も自分を鍛え、外にアピールをせよ!
外に輝くように!!・・(内だけは修行のみだ)
日数経て・・・やっと身についた、この人生!!
■阿部老師提唱「十牛図」(五-2)
五・牧牛(ぼくぎゅう)-2
十牛図でここが根本である。
・人生ポリシーを持つか、生き方に具現されているか?
この二つには距離がある。分かっているができない。
私・・・・牛
知行合一、牛と私が一体、いかに一致、調和するか。
「一」をいだく、「法一」森先生
仏者の生きざまは牧牛である。
高く理想をかかげ、それに向かって・・・合一になるよう。実社会では何ができるか。
乾竹(乾いた竹)から油を絞るよう。人の修行(自分で目的設定)
ニート・フリーター、アスベスト、CO2問題・・・親、社会が放っておいた。(目先がよければ)
牧牛・・・個人のことであるが、国家、民族のことまで。
一般論の解釈は、竹とたづなを一時も離さないのは、牛がホコリにまみれないよう。
阿部老師の解釈は、牧牛は本来牛だから、たづなでつかまえていなくても、モウモウと泣いてひっぱっている。(どこでもどこでも)
・・・今さら何の工夫が必要か。泣いたり笑ったり生きているが。いつでもどこでもぴったり一緒なのだ。生まれた時から(自分自身なのだ)
吐く息、すべて、毛穴から・・・
いつも牛とともに歩んでいる
一般論ではそうだが、老師の新説は
「いつもいつも、ともにいたのだから、私のそばになついている
いつも 相引いて、ピッタリの世界
こっち あっちとしなくても 同じ歩調で生きていける。」
インドでは、牛が散歩している・・・そして家へ帰る。
先頭は風格のある牛。・・・他の牛がついていく
牛は本梨乃所にいると分かっているが
私たちのありかは実社会である。
何にでもなりうるし、なってきた(すべてのものに)
「純粋の本来の私」はまだなったことはない・・・理論上だけ。
観念でなく、この現実に生きる。
○○から◎オンリーワン・・・対立がない
心の葛藤で二者の足がからんで転倒することはない。
たった一つのいのちで生きている。
来住の人・・・役人、学者、先生・・・世間との係わり
それにとらわれず、牛と人が同じ調子で生きれば、本来のいのちの働きは
「泣くことも 笑うことも 牛の声」
2008年10月9日木曜日
■阿部老師提唱「十牛図」(五-1)
五:牧牛 -1
悟りはなくてもいい。しかし禅的センスが欲しい。
少ないと何でもやるが、多いと分散する。差が出る。
全体のマネージャーがいない時代になった。
牧牛・・・本来は綱がない。放し飼い・・・キリスト教の牧場=野放しでも成り立っている。
幸せで生きたい。一本道(いのち、私)
本心に目覚める・・・大いなるこころ
この世界で生きている以上、この世界にたづさわらなければならない。
オンリーワン(無位の真人)・・・朝顔を洗う、ご飯を食べる・・・なんでもなれる。仕事でも主体性をもって生きる。
主人公たる自分自身が分からない。着る物だけ考えている。
いのちはこの世界に満ち満ちているではないか!!
自分の手で、足で、口で・・・この世界を生きていく。証拠を残す。
金があっても満足ではない。
今・ここ・私・・・自分が何者か! 何をすべきか! 一歩も足を止めない。歩みを止めてはならない。一本道を歩いている。
元から持っていたいのち。
元から牛、ピッタリ牛と私が一つになっている。ひっぱらなくても離れることはないのだ。まるごと私なのだ。
内なる自己の呼びかけが私たらしめた。
実はひっぱっている内らの牛であった!!!
万が一の時に的確に対応する。
10・8(振り返って)
牧牛は本来牛だから、手綱でつかまえなくてもモウモウと泣いてひっぱっている(どこでも、どこでも)
今更なんの工夫が必要か!
泣いたり、笑ったり生きているが・・・いつでも、どこでもピッタリ一緒なのだ。生まれた時から自分自身なのだ。
■阿部老師提唱「十牛図」(四)
阿部宗徹老師の秋田維摩会大摂心・大悲寺での提唱 をダイジェストで記します。
四:得牛(とくぎゅう)
牛とは・・・自分の命、生き方のこと。
自己同一・・・アイデンテイテイの確立・・・40歳で不惑
人生の目的を定め・・・一向工夫(方法はいろいろ)・・・人生を歩く(創造的人生を!)
行に生き・願に生き・・・菩薩の行願
(秋田維摩会も外に働きかけること。自分の力をつけ外へ働きかける。人の心をうつものを。)
願を持たない者には教えない。協力しない。
自分が自分のいのちを生きるのだ。今日決めるのだ。
ショパンの例
病気になった・・・ヒラメキ・・・こう生きると決めた=ショパンの弾き方が変わった。」
固まった心をほぐすには・・・ムチで打つか!・・しかし時代が変わった。
この寒い冬を、自分の体温で生きる人間がいなくなった。
平成17年10月7日(振り返って)
初めから決まっていない。
最初から私自身であった。すべてがいのちの光明であったのだ。口、手、足。
契沖の車・・・・・車の本質=走ること
私が生きている、動いているとき「いのちの感動」がある。
一瞬一瞬対応し生き抜くことが人生である。
2008年9月27日土曜日
2008年9月24日水曜日
2008年7月8日火曜日
■秋田維摩会の歩み・・・100年の歴史・・・
歴代の師家と時代変遷は次のとおりです。
0、明治35年
伊予八幡浜・大法寺・・・西山杢山老師。
秋田17連隊大尉 岐部別峰と全良寺の田中智謰と相談し拝請の書状を送ったのがきっかけ。
1、明治36年5月10日・・・秋田維摩会の創立
大法寺・西山杢山老師・・・維摩経を開講・・・秋田維摩会と名づけられた。
2、明治37年~
南禅寺派管長・・・ 河野霧海老師
3、昭和10年~
名古屋源徳寺僧堂師家・・・古仲鳳洲老師
4、昭和22年~
東福寺派管長・・・林恵鏡老師
5、昭和52年~
花園大学学長・・・盛永宗興老師
6、平成8年~
静岡臨済寺僧堂師家・花園大学学長・・・阿部宗徹老師
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■阿部宗徹老師・開堂式典出席
2008年7月7日月曜日
■2008 例会のお知らせ
場所は秋田市寺町大悲寺です。
4月26日(土)
5月24日(土)
6月28日(土)
7月26日(土)
8月23日(土)
9月27日(土)
10月25日(土) 11~14日 大摂心会(集中坐禅会)
11月22日(土)
12月20日(土)
午後2時スタートです、少し早めにおいでください。
初心者でも歓迎いたします。
初心者には坐り方お教えいたします。
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