2014年10月17日金曜日

❏佐藤三郎さんへの弔辞

元会長への弔辞ですが、《いのち》に触れていますので掲載します



謹んで佐藤三郎さんに、秋田維摩会を代表してお別れを申し述べさせていただきます。

佐藤三郎さんは、秋田維摩会で、私の前の会長として、我々をご指導いただきました。
秋田維摩会とは、寺町大悲寺の坐禅会で、一般の人が参加する坐禅会として、日本で最も古い方で、今年で111年目を迎えております。佐藤三郎さんには100年目の少し前に、約三年ほど会長を務めていただきました。

佐藤三郎会長の教えの思い出を 三つ申し上げたいと思います。

1、         佐藤三郎さんは、若く、現役の時代から、坐禅会に参加されたそうです。仕事で忙しい時代に、自分の心の修行を仕事に活かしたお姿を、寡黙なお方でしたから、言葉ではなく、背中で教えてくれていました。素晴らしい人生だったんだと、敬服いたしております。

2、      坐禅会では、秋に大接心という集中坐禅会があります。京都の本山から老師が参りまして、いわゆる厳しい禅問答をいたします。その期間が一週間あり、朝昼晩と行います。そのときの、佐藤三郎さんの修行の姿は 古武士然として神々しいものでした。特に、盛永宗興老師の時は、「オヤジに付いていく」と慕いながら、厳しい修業をされて、ついに、
いわゆる「悟り」をひらいて、老師から「居士」の免許をいただいております。接心の時には、その印として「袈裟」姿になります。それは、我々後輩には、たいへんなあこがれの姿でした。

3、       会長時代には、会員へのお話の中で「禅は、言葉では伝えられない」と、よくおっしゃいました。今になって考えてみれば、秋田維摩会の会則の、目的の第一番目に「本来の自己を探求すること」と書かれています。目に見える肉体の自分の他に、見えない自分がいることを探し出すことなんですね。
悟りの境地の佐藤三郎さんは、「目に見える有限の中に、目に見えない無限の世界が同居している」ことを理解され、それを生活の中に活かしていたのだと思います。

ということは、今、佐藤三郎さんは、有限の肉体から離れてしまいましたが、もう一つの、無限のいのちの世界に戻られて ゆったりとしているのでしょうか。
真理の世界を背中で教えてくださいました、佐藤三郎さん 本当にありがとうございました。

 どうぞ、そちらの世からも、ご家族や秋田維摩会を見守って下さることをお願い申し上げて弔辞といたします。


2014年4月21日月曜日

❏なっとく「般若心経」(後半) 2014版動画紙芝居

なっとく”「般若心経」(後半)・2014版動画紙芝居完成です!

1,「般若心経」(後半)

こちらからどうぞ


2,目もない、鼻もない・・・

般若心経はなんだこれは
あれもない、これもないだけじゃないか・・・

3,白色からすべてが

この表現宇宙(我々の世界)にはたくさんの色があります
しかし、宇宙には本来「白光」しか無いのです
その白色からたくさんの色が生まれるのです。
その逆も、集合したら色は白光になりますね!


我々が住む表現宇宙では
人間は肉体という不完全な乗り物に
乗っているから、五感によって様々な
体験が必要なのです!!

4,ギャテイギャテイ・・・

不思議な「ギャテイギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ」
という咒(マントラ)は何のためにあるのだろうか
それは「本当の自分」探しのための強力な
武器となるものです!

こんなことがわかります
どうぞ御覧ください

2014年4月20日日曜日

❏なっとく「般若心経」(前半)2014版動画紙芝居

2014版・なっとく「般若心経」・は快心の動画紙芝居となっています

1,YouTube動画紙芝居

こちらから
https://www.youtube.com/watch?v=SFBXVYpY1rM

2,こんにゃく問答の「色即是空」が分かる

誰に聞いてもよくわからない問答ばかり
バッチリ分かります。色即是空だけでなく
般若心経全部がわかる、なっとくできる。


3,「般若心経」とは何か

「まことに偉大な人生の道しるべ」と訳します
「般若の知恵」とは、直感的に、統合的に
物事の本質をとらえること
4,「本当の自分とは

人間は「肉体」だけでなく
目に見えない「空」・《いのち》である
「本当の自分」がいる


後半は後日に!

2014年4月14日月曜日

❏春の集い・・・阿部老師講演会

秋田維摩会・春の集いが阿部宗徹老師お出でになり、行われました!

1,春の大悲寺

秋田市寺町大悲寺
紅梅が三分咲きとなりました

今日が阿部宗徹老師の講演会!!

2,大勢の皆様が参加

お釈迦様の
「天上天下唯我独尊」をお話されました
金子みすずの『私と小鳥とすずと』がその意味を伝えていると

私が両手をひろげても
お空はちっともとべないが
とべる小鳥はわたしのように
地面をはやくは走れない

わたしがからだをゆすっても
きれいな音はでないけど
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんの歌は知らないよ

すずと、小鳥と、それからわたし
人なちがって
みんないい

3、老師を囲んでお話しましょう

演壇を離れて椅子姿で
皆さんとお話・・・質問がありましたらどうぞ!
活発に質問がありました

4,空港までお送りして

前日の懇親会と今日の春の集いをおえて
大勢が空港までお送りしました!

2013年8月2日金曜日

■雑念妄念を消す方法

心はコロコロ、常に雑念妄念が襲いかかります・・こうすればいい
残念ながら坐禅のからの情報ではありません。
調和道丹田呼吸法の2013・8の会報からです。
丹田呼吸談義「調和道の奥を訪ねて(2)」から



1,雑念妄念とは

雑念妄念を一つの言葉『雑念』で表現していますが、佐藤先生の解説によれば雑念と妄念を分けて、『雑念』は外界の刺激により引き起こされる心の擾乱であり、『妄念』とは内界(内心)から湧き起こり心を擾乱させる念であるとしています。


2,雑念には数息観

そして、これらの退治には、『雑念には数息観』を、『妄念には随息観』を
用いるのだとしています。
数息観は臨済禅でも用いることがぁるようですが、一から十までの数を波浪息の
長息の吐く息に合わせて唱えます。
数え方は『トーツ、ターッ、ミ、― ッ、ョーッ、イッーッ、ムーツ、ナナーツ、ヤーツ、ココノーッ、トー』を繰り返しているうちに雑念を離れていくといぅことです。

(註) ハヒフヘホは腹から空気が漏れる感じがするので、ヒトーッはトーッ、フターッは
ターツと呼ぶのが昔からの習慣です。また十以上の数を数えるのは頭を使うので十までし
か数えず、一に戻ります。数が分からなくなったときも一に戻ります。


3,随息観とは

随息観は吐く息に心を集中することによって、あるいは吐く息に従っていれば妄念を離
れていくということです。波浪息の長息において吐くときに『ウーム』と声に出して意識
を集中していくので、中級波浪息の長息を別名『ウームの呼吸』と呼ぶことがぁります。

4,雑念妄念が消えるわけではない

私には道祖のように徹底的に雑念妄念を排除する事は出来ません。人間である限り煩悩
があるのは当たり前、雑念妄念もあるのは当たり前だと思っているからです。ただそれに
執着しないようにしているだけです。数息によっても雑念妄念が消えるわけではなく、全く気にならないようになるだけです。

『意馬心猿』という言葉があります。自分の『意』という馬は暴れて言うことを聞かず
御し難く、『心』という猿は枝から枝へ跳び移って一所に落ち着くことがない、
という意味です。
そこで、馬は暴れるままに、猿は跳び回るままにしておくと、
いつの間にか馬はゆっくりと草を食べており、



猿はどこかの枝で昼寝をしているということになるわけです。





心というものは雑念妄念だらけで、落ち着かせようとすればするほど、落ち着かなくな
るわけで、あるがままに放置しておけばいつの間にか、静寂な状態に持っていける、とい
う道もあるということです。雑念妄念退治にはストイツクな道だけではないと言いたかっ
たのです。
いずれにしろ本気で観念息を目指すのであれば、数息随息で雑念妄念の制御から始める
必要があるわけです。




2013年5月26日日曜日

■「こざくらの丘」にやってきた坐禅会

5月の例会終了後、わが「こざくらの丘」にやって来ました

1,緑いっぱいになりました
大悲寺の坐禅会のあとに、「こざくらの丘」にやって来ました
こもれびテラスの今年最初のグループです
2,色々なツールで

大豆を取り出す時に使った杵で・・・昔を思い出しています

3,庭でお茶会
サツキが紫は満開ですが白は咲きぞめです!
4,記念写真
珍しく私も写真に入っています

2013年1月14日月曜日

◆なっとく「般若心経」の解読と実践 動画






なっとく「般若心経」の解読と実践 動画を載せます。