2013年8月2日金曜日

■雑念妄念を消す方法

心はコロコロ、常に雑念妄念が襲いかかります・・こうすればいい
残念ながら坐禅のからの情報ではありません。
調和道丹田呼吸法の2013・8の会報からです。
丹田呼吸談義「調和道の奥を訪ねて(2)」から



1,雑念妄念とは

雑念妄念を一つの言葉『雑念』で表現していますが、佐藤先生の解説によれば雑念と妄念を分けて、『雑念』は外界の刺激により引き起こされる心の擾乱であり、『妄念』とは内界(内心)から湧き起こり心を擾乱させる念であるとしています。


2,雑念には数息観

そして、これらの退治には、『雑念には数息観』を、『妄念には随息観』を
用いるのだとしています。
数息観は臨済禅でも用いることがぁるようですが、一から十までの数を波浪息の
長息の吐く息に合わせて唱えます。
数え方は『トーツ、ターッ、ミ、― ッ、ョーッ、イッーッ、ムーツ、ナナーツ、ヤーツ、ココノーッ、トー』を繰り返しているうちに雑念を離れていくといぅことです。

(註) ハヒフヘホは腹から空気が漏れる感じがするので、ヒトーッはトーッ、フターッは
ターツと呼ぶのが昔からの習慣です。また十以上の数を数えるのは頭を使うので十までし
か数えず、一に戻ります。数が分からなくなったときも一に戻ります。


3,随息観とは

随息観は吐く息に心を集中することによって、あるいは吐く息に従っていれば妄念を離
れていくということです。波浪息の長息において吐くときに『ウーム』と声に出して意識
を集中していくので、中級波浪息の長息を別名『ウームの呼吸』と呼ぶことがぁります。

4,雑念妄念が消えるわけではない

私には道祖のように徹底的に雑念妄念を排除する事は出来ません。人間である限り煩悩
があるのは当たり前、雑念妄念もあるのは当たり前だと思っているからです。ただそれに
執着しないようにしているだけです。数息によっても雑念妄念が消えるわけではなく、全く気にならないようになるだけです。

『意馬心猿』という言葉があります。自分の『意』という馬は暴れて言うことを聞かず
御し難く、『心』という猿は枝から枝へ跳び移って一所に落ち着くことがない、
という意味です。
そこで、馬は暴れるままに、猿は跳び回るままにしておくと、
いつの間にか馬はゆっくりと草を食べており、



猿はどこかの枝で昼寝をしているということになるわけです。





心というものは雑念妄念だらけで、落ち着かせようとすればするほど、落ち着かなくな
るわけで、あるがままに放置しておけばいつの間にか、静寂な状態に持っていける、とい
う道もあるということです。雑念妄念退治にはストイツクな道だけではないと言いたかっ
たのです。
いずれにしろ本気で観念息を目指すのであれば、数息随息で雑念妄念の制御から始める
必要があるわけです。




2013年5月26日日曜日

■「こざくらの丘」にやってきた坐禅会

5月の例会終了後、わが「こざくらの丘」にやって来ました

1,緑いっぱいになりました
大悲寺の坐禅会のあとに、「こざくらの丘」にやって来ました
こもれびテラスの今年最初のグループです
2,色々なツールで

大豆を取り出す時に使った杵で・・・昔を思い出しています

3,庭でお茶会
サツキが紫は満開ですが白は咲きぞめです!
4,記念写真
珍しく私も写真に入っています

2013年1月14日月曜日

◆なっとく「般若心経」の解読と実践 動画






なっとく「般若心経」の解読と実践 動画を載せます。


◆なっとく「般若心経、の解読と実践(TOP)


修行中の身でありながら、分不相応な試みであることは十分に理解しつつ・・・・・

第一校 2012・12・28

手に負えなかった「般若心経」をなんとか解読しました。
般若心経を多くの皆様の貴重な資料と波動・量子力学で取り組み、
解読したつもりです・・・!!

人生は日々新たですから、第一校としましたが、完成したのが、
なんと2012・12・28日です。
2012アセンション(我々は意識のルネッサンス)の直後でした!

やはり般若心経はとてつもなく偉大な真理でした!
次のように段階を踏んで偉大な真理を見につけましょう
①般若心経を理解する
②般若心経を納得する
③般若心経を実践する

あなたの人生にお役に立てば幸いです!!



1,タイトル


摩訶般若波羅蜜多心経

なんと偉大な「般若波羅密多心経」






2,観音菩薩の結論部分


1,観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、
  かんじーざいぼさつ ぎょうじんはんにゃーはらみーたーじー


求道者である観音菩薩が、生まれながらに備わっている「天と繋がる《いのち》に生きる」ことを悟る道を深く行じていた時、
2,照見五蘊皆空、
  しょうけんごーおんかいくう
釈迦如来(お釈迦様)の教えは次のようであるとはっきりと理解できました。

「人間は「肉体の自分」だけだと思われている。しかし、この宇宙は陽と陰の二面性で成り立っている、陽とは目に見える世界の「色」で、陰とは目に見えない世界の「空」である。

そうなれば、人間は目に見える「肉体の自分」である「色」と、無色透明で感じることのできない「空」である「本来の自分」がいるのだ。「空」の「本来の自分」とは天と繋がっている《いのち》のことなんだ。

「肉体の自分」だけとして生きていれば、恐怖などの感覚の働き(五蘊)が苦難を招いてしまうが、「肉体の自分」でありながら「本来の自分」である《いのち》を意識して生きることができたら、苦難もなく平安に過ごすことができる」というものでした。
3、度一切苦厄。
  どーいっさいかいくーやく
 やがて観音菩薩は悟りに至り、天と繋がる《いのち》で生きることを実践したことで、苦難もなく平安に過ごすことができました。



3,色即是空の解説

4,舎利子。
  しゃーりーしー
お釈迦様の教えを、高弟である舎利子が書き残していました。約500年後、その教えに出会った観音菩薩は、分かりやすく次のように伝えています。
5,色不異空、空不異色、
 しきふーいーくう くうふーいーしき
どんな物にも色がついているから目で見えます。でも空気は色がついていないので目で見ることはできません。だから、お釈迦様は「色がついて目に見える物を「色」と呼び、無色透明で目に見えないものを「空」と呼びました。この「色」と「空」は表裏一体なのです。
6,色即是空、空即是色。
 しきそくぜーくう くうそくぜーしき
形ある物「色」には必ず形作っている本質があります。その本質のことを、現代人は「波動」や「生命エネルギー」と呼び、お釈迦様は「空」と呼んだのです。だから、人間も万象万物も「空」です。波動です。波動の素粒子が原子化し、分子化し、様々な形に化身したのです。すなわち「空」が様々な「色」に化身したのです。

「空」も「波動」も「生命エネルギー」も《いのち》の別名ですから、この表現の世界は物質の世界であると同時に、《いのち》の世界(空の世界)でもあるのです。

人間の肉体は《いのち》の入れ物です。形のない《いのち》を形のある肉体の中に一杯入れ、余りにも一体化しているため、私達は肉体が生きていると錯覚しているのです。

一方、「空」は必ず個別の様相を取ってこの世に表れる、現実に現れたものがそれぞれの区別があることも忘れてはいけない。



7,受・想・行・識亦復如是
  じゅーそうぎょうしき やくぶーに
    ょーぜー
 



4,空の相(すがた)

8,舎利子。
  しゃーりーしー
舎利子はお釈迦様の言葉をさらに伝えています。


9,是諸法空相、
  ぜーしょーほうくそう
この世の中の道理は、「空」である波動・生命エネルギーの相(すがた)の現れなのです。

10,
 不生不滅、不垢不浄、不増不減。
 ふーしょふーめつ ふーくーふーじょ ふーぞうふーげん



《いのち》は波動・生命エネルギーですから無色透明、無味無臭です。ここでは生命エネルギーとしての働きを説いています。

二宮尊徳の一円相(循環の理論)から
【不生不滅】
・《いのち》は春に芽が出て、夏に草となり、秋に実り、採り入れて冬に蓄える。また春になれば種を蒔き
と《いのち》が絶えることなく循環しているのです。
・また、人間の場合は、オギャーと生まれ、子どもから大人へ、大人が老人となり死を迎えます。しかし人間の《いのち》は宇宙空間で循環して、またオギャーと生まれるのです。

【不垢不浄】
・生命エネルギーは不垢不浄は当然です。

【不増不減】
・物はあちらへ傾けば自分の分量が減る、しかし相手の分量が増えることだから、《いのち》の総量は変わらないのです。



5,「空」・生命エネルギーの働き

11,
   是故空中、
   ぜーこーくうちゅ

12,
  無色、無受・想・行・
  識、
 むーしき むーじゅーそうぎょうしき
◆「肉体の自分」として生きれば、肉体に備わった五感が、恐怖などで「五感の壁」をつくり、壁の中で苦難を味わっているのです。

■生命エネルギーには形も感覚作用も必要ありません。



13,
  無眼・耳・鼻・舌・身・
  意、
  むーげんにーびーぜっっしんにー
◆肉体に備わった目、耳、鼻、舌、身体、心の感覚器官は、人生の学びのために必要であり、個人の姿形として現れたものです。

■生命エネルギーには五感のための感覚器官も必要ありません。

14,
  無色・声・香・味・触・
  法。
  むーしきしょうこうみーそくほう
◆肉体に備わった五感で味わう色、音、臭い、味、触るものは、人生の学びのために必要なものですが、

■生命エネルギーには感覚も必要ありません。

15,
  無眼界、乃至、無意識
  むーげんかいないしーむーいーしき
   かい
◆肉体の自分として生きれば、五感の壁に囲まれているので限界があります。

■生命エネルギーには限界というものがありません。

16,
  無無明、亦無無明尽、
  むーむーみょうやくむーむーみょう
   じん
◆肉体の自分として生きれば、煩悩や無知、迷いがありますが、

■生命エネルギーは天と繋がっているのですかは無関係
です。
詳細

17,
  乃至、無老死、亦無老死
  尽。
 ないし むろうし やくむろうしじん
◆肉体の自分は生老病死で苦悩しますが、

■生命エネルギーは不生不滅の永遠不滅の存在なのです。

18,
  無苦・集・滅・道。
  むーくーしゅうめつどう
◆肉体の自分として生きている限り、現実の問題解決する方法として、
苦しみ(苦諦)や、その苦しみの原因を探すこと(集諦)、苦しみを減らすこと(滅諦)、苦しみを減らすことを実現する方法(道諦)がありますが、
それぞれの場で支配されていますので、「支配の壁」が立ちはだかり、苦難が待ち受けています。

■生命エネルギーには「支配の壁」がありませんので苦難はありません。

19,
  無智亦無得。以無所得
  故、
  むーちーやくむーとく いーむーしょとくこー
◆肉体の自分として生きれば得ることにも失うことにも因われます。

■生命エネルギーは循環の原理で、あちらが増えればこちらが減るだけのことです。




6,菩薩達の修行の結果

20,
  菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、
  ぼーだいさったー えーはんにゃーはーらーみーたーこー


私たち菩薩は、深い瞑想の結果、天と繋がる《いのち》に目覚めたのです。弁証法の正反合で、「肉体の自分」として生きながら、「本来の自分」である《いのち》を意識して生きることが出来るようになりました。
21,
  心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、
  しんむーけいげー むーけいげーこー むーうーくーふー


「天と繋がる《いのち》に生きる」ことを悟った菩薩たちには、心を束縛するものがないのです。心を覆い隠してしまうものがないので、何事も恐れることがないのです。
22,
  遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
  おんりーいっさいてんどうむーそう くーぎょうねーはん

もう「五感の壁」や迷いから遠く離れて、永遠なる心の平安の世界に住み続けています。
23,
  三世諸仏、依般若波羅蜜多故、
  さんぜーしょーぶつ えーはんにゃーはーらーみーたーこー

そうであるから、いつの世のみ佛たちもまた、この深い瞑想で「天に繋がる《いのち》に生きる」ことを求めるのです。
24,
  得阿耨多羅三藐三菩提。
  とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい


 そうして、完全な悟りを成就したという、深い深い境地に達しました。



7,「色と空」が一体となるためのマントラ

25,
  故知、般若波羅蜜多、
  こーちー はんにゃーはーらーみー
   たー

 そうであるから、「天と繋がる《いのち》に生きる」という真理を求める深い瞑想の行に、重要な役目を果たすのが、
26,
     是大神呪、是大明呪、是
     無上呪、是無等等呪、
ぜーだいじんしゅー ぜーだいみょうしゅー ぜーむーとうどうしゅー

 これから伝授する、無上・無比、最強・最高のマントラ(真言)です。
27,
  能除一切苦、真実不虚
  のうじょーいっさいくーしんじつふ
   ーこー
 苦難の元凶である肉体に付属する「五感の壁」を突き抜ける修行に際して、お釈迦様の「吐く息に意識を込める呼吸」と共に重要な働きをするのがこのマントラです。

修行とは人間が生まれた時にいただいている「天と繋がる《いのち》に目覚める」ことこそが真実なのです。



28,
  故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰、
   こーせつ はんにゃーはーらーみーたーしゅー そくせつしゅーわつ

 だから私は「天と繋がる《いのち》に生きる」ためのマントラ(真言)を説きます。マントラは波動ですから修行の時はオリジナルで読みましょう。
29,羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶。
   ぎゃーていぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわかー


ガテー ガテー 
パーラガテー 
パーラサンガテー 
ボーディ スヴァーハー


  詳細
30,般若心経
   はんにゃしんぎょう


まさしく、これがありがたい真理のお経です。




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