2009年12月12日土曜日

■般若心経は訳さないもの

般若心経はいろいろな訳本が出ておりますがなかなかしっくりこないものです。ましてや「ギャーテーギャテー・・・」は絶対に訳せませんよね。
それはそのとおりだということがこちらで分かりました。


1.般若心経


2、五種不翻

般若心経は長い間、翻訳してはならないとされてきた。もともとのサンスクリットを表意文字の漢語にするだけでも無理があるのに、さらに日本語に変換したのでは本来の意味が損なわれてしまう。

翻訳してはならない五つの理由。

1・秘密性の故
秘密とは他人に隠すという意味ではない。秘境にある緻密と濃密、奥深くて知ることが難しいという深長な意味合いである。単に言葉の意味だけを日本語にしただけでは、感じ取るべきものが感じ取れなくなる。

2・多含性の故
ひとつの言葉に多くの意味が含まれているので、解釈の仕方次第では別の意味になってしまう怖れがある。自分の体験や知識の範囲だけで軽々しく理解してしまってはいけない。

3・地域性の故

地域地域によって存在する言葉とその意味が違うことがある。また使う人によっても微妙なニュアンスの違いがあり、翻訳したからといって本意と受け取った意味が一致する保証はない。

4・古に準ずるが故

紀元前400年の深遠な意味が、翻訳によって間違って伝えられる危険。その時代に発せられた言葉の原意は、地理的にも時代的にも遠く離れた日本まで正しく言い伝えられてきただろうか。

5・尊重の故

ひとつの言葉の意味を正確に説明するには一時間も二時間もかかるかもしれない。たくさんの言葉を使った時点で本来の一語の輝きは失われてしまう。

 

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2009年12月11日金曜日

■会報「黙泉 12月号」

秋田維摩会会報12月号です。
今月は19日(土)午後2時からです。
どなたでもどうぞ、最初一年間は無料で、由緒ある大悲寺で坐れます。
最初の方はお早めにおいで下さい。




























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2009年11月14日土曜日

■会報「黙泉 11月号」

秋田維摩会の会報「黙泉 11月号」です。

2009年10月28日水曜日

■滝田さんと鶴の湯温泉へ

秋田維摩会の2009秋の摂心会は特別でした。
時代が「禅を求めているのに、市民への働きかけが不足だ!」との、師家・花園大学学長・阿部宗徹老師のお心の下に(すべてがおんぶに抱ダッコでしたが)、滝田栄さんを招いた坐禅会でした。
秋田市での講演を終えてから乳頭温泉郷・鶴の湯温泉に行きました。

鶴の湯温泉前での全員集合





















懇親風景















滝田さんご夫妻















画家のS副会長












帰りの角館伝承館前で

2009年10月21日水曜日

■広告「滝田栄が秋田にやってくる」

滝田栄さんが秋田にやってくる!!
2009・10・15の秋田さきがけに広告として掲載されました。
2009・10・26秋田ビューホテルで朝10:00から
講演会と阿部宗徹老師との対談です。

入場無料です。9時半開場ですので、お早めにおいで下さい。
整理券も不要です。

























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2009年9月26日土曜日

■土門拳に学ぶ

田市の土門拳記念館に行ってきました。

1、土門拳とは


土門 拳(どもん けん、1909年10月25日 -1990年9月15日)は、日本を代表する写真家である。

日本の庶民または、仏像等の撮影に特に才能を発揮した。また、日本の写真界屈指の名文家としても知られた。




2、なぜ土門拳に惹かれたか

(パンフレット及びHPの紹)・・・これに惹かれました。

 実物がそこにあるから、実物をもう何度も見ているから、写真はいらないと云われる写真では、情けない。


 実物がそこにあっても、実物を何度見ていても、実物以上に実物であり、何度も見た以上に見

せてくれる写真が、本物の写真というものである。


 写真は肉眼を越える。


 それは写真家個人の感覚とか、教養とかにかかわらない機械(メカニズム)というもっとも絶対的な、非情なものにかかわる。時に本質的なものをえぐり、時に瑣末的なものにかかずらおうとも、機械そのものとしては、無差別、平等なはたらきにすぎない。


 そこがおもしろいのである。


 写真家は、機械のうしろに、小さく小さくなっている。写真家が小さくなって、

ついにゼロになることは、なかなかむずかしい。

せいぜいシャッターを切るとき、あっちの方を眺めるぐらいなものだ。


 写真の中でも、ねらった通りにピッタリ撮れた写真は、一番つまらない。
 「なんて間がいいんでしょう」という写真になる。


 そこがむずかしいのである。



3、実は善宝寺に行ったのです

菩提寺の待月院さんの行事で行きました。
(はりつけ)
龍澤山善寳寺は海の守護・龍神様のお寺として北海道、東北、北陸をはじめ全国に多くの信者を有し、特に漁業関係者より絶大な信頼を頂いている大祈祷道場です。山門、五重塔、龍王殿などの壮大な伽藍は1200年の信仰の歴史を物語っています。


曹洞宗の修行道場でもあります。立派な坐禅堂で10人の修行僧が修業しておりました。我々も夜と朝に坐禅堂で坐禅をすることができました。


4、記念館のイサムノグチの作品


中庭のイサムノグチの作品に感動いたしました。













正面に見えるのが彫刻です。
その位置を考えてみました。
黄金分割で説明がつきそうなのですが、ちょっとずれているかとも思いました。
でも絶妙な位置にありました。






■土門拳の言葉、イサムノグチの物言わぬ作品こそが「悟りの境地を」表すものですね。

良い出会いでした。

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2009年9月20日日曜日

■滝田栄さんの講演会パンフ完成

秋田市の寺町・大悲寺の坐禅会「秋田維摩会」主催の滝田栄さんの講演会が10月26日秋田市で開催されます。

1、滝田栄さんとは






2、滝田栄さんが秋田にやってくる

・月日:平成21年10月26日(月)
・時間 : 9:30開場 10:00~12:00
・会場 :秋田ビューホテル4F
・会費 :無料
・定員 :300名

























3、講演内容

・10:00より約1時間半 滝田栄さんの講演「人生を語る」

・10:30より 滝田栄さんと花園大学学長阿部宗徹老師との対談
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 阿部宗徹老師は京都にある臨済宗妙心寺派の大本山妙心寺、その第704世で、現在花園大学学長として活躍されている。また静岡にある臨済寺専門道場にて、師家(先生)として若い修行僧の指導に当たっている。
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4、秋田市で行われることの重大さ
 
・花園大学学長の阿部宗徹老師は、人生において最も得難い師であります。
・また、滝田栄さんも今最も円熟した俳優として光り輝いております。

滝田栄さんの講演とお二人による対談が秋田市で(しかも無料ですよ!)目のあたりにして聞けることのありがたさ、この機会を作っていただいたのはすべて、阿部宗徹老師のお図らいでございます。

すべてに感謝申し上げます。










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2009年9月11日金曜日

■会報・9月号

秋田田維摩会の9月号会報です。

























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■会報・8月号

秋田維摩会の8月号会報です。


























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2009年8月24日月曜日

■朝の座禅

庭に大きな坐禅石がありますが、朝の坐禅は庭の南側の小テラスで行っています。




坐禅石は庭の真ん中にあります。
やはり、端の方、モミジの木の下です。

















蚊取り線香もセットですが、こちらが落ち着きます。















私は眼をつぶっております。
イメージ呼吸をしながら行っておりますから、こちらがしっくりきます。

2009年7月30日木曜日

■滝田栄さんと坐禅

秋田維摩会では2009・10・26日に、大悲寺の大摂心会の一貫として、「滝田栄さんと花園大学学長阿部宗徹老師の対談」を開催します。

そこで、滝田栄さんの人生について、坐禅との関わりについて、阿部宗徹老師とのつながりについて調べましたので掲載します。映画「不撓不屈」を語るより



 滝田 劇団四季のミュージカル「ジーザス・クライスト=スーパースター」のユダ役で注目され、NHK大河ドラマ「徳川家康」や朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」と立て続けに声をかけていただき、出演することができました。




 ――「家康」を演じた際、山岡荘八の『徳川家康』(講談社)を全巻読まれたそうですね。


 滝田 もともとは『レ・ミゼラブル』が世界で一番長い小説で、それを山岡先生がもっと大きなドラマがあるから、といって『徳川家康』に挑戦されたと聞いています。僕は、その両方を演じたのですけど。(笑)

 ――役を演じるために、「徳川家康」では、お寺で修行をされたとうかがっています

 滝田 原作とシナリオに、家康が竹千代と呼ばれた少年時代、臨済寺で太原雪斎禅師に軍学を学んだとある。でも今川方の大参謀の雪斎禅師が敵方の人質の子に戦の仕方を教えるはずがないという疑問が浮かんだのです。
 それで、僕のインスピレーションというか、すがる思いで、臨済寺を電話番号案内で調べて、「家康を知りたいので、置いてほしい」と電話をしたところ、「ここは臨済禅の僧堂で、開山以来全く変わらない厳しい生活をしているので、一般の方はご遠慮願いたい」と言われました。僕は、「素足で、地面を歩いたら竹千代と同じことを感じるかもしれない、それだけでいいから置いてください」と懇願したところ、「そこまで言うなら一日でも二日でも来てみなさい、ただし厳しいですよ」という返事でした。
 それで、すぐに飛んでいったら、山門が閉ざされていて、「参禅中につき拝観謝絶」とあり、横の潜り戸から入ったら、俗界と全く違う。ある緊張感も伴って、張りつめた空気があった。あと、大きなお寺ですが、塵一つない見事な庭で、400年以上前と全く変わっていない、これは何かあるなと感じました。
 修行僧と庭や本堂の掃除、食事の時間を共にし、彼らの坐禅中は部屋で心行くまで勉強し、そこで原作を読んだりしたわけですが、どうしても疑問が解けない。当時、僕は若く、大河ドラマの主役ということで気分が舞い上がって、馬にまたがり合戦に出ていくような、そんな外面的な英雄像を格好よく見せてやろうといった、雑念、妄想が全身を支配していて、人の苦しみや悲しみを表現する、人間のドラマだということが吹っ飛んでいたのです。
 そんなとき、「ご隠居」と呼ばれていた倉内松堂老師が、「お勉強は捗りましたか。たまには息抜きにお茶でもどうですか」と、お茶に呼んでくださいました。そこで、甘い、渋い、苦いという三杯のお茶を体験し、「甘、渋、苦という三つの味わいをそろえて人生の味わいというんだ」といった話を聞いた後で、一枚の小さな掛軸を掛けられた。
 亡くなられたお釈迦様を囲んですべての生きとし生けるものが涙を流している。「なぜ泣いていると思うかね」と振られたので、「お釈迦様ほどの方になるとお別れが悲しいのでしょう」と答えたら、「そのとおりだ。慈悲という苦しみを楽しみに変えてしまう力を教えてくれた偉大な師匠が旅立たれ、その別れを惜しんでいる絵だ。おそらく雪斎禅師はここで竹千代にこの涅槃図を示して、こういう武将になれと教えたんだと思うが、いかがか」と来た。要するにお釈迦様のごとき慈悲心に富んだ武将になれと、竹千代に教えたわけです。
 そのとき、いつも黙って動かないが、遂に戦国の世を終わらせた家康の根本力がわかった。これさえわかれば、何をしていても、僕はもう家康でいられると確信を得た。それで、お礼を述べて、その日のうちに荷物をまとめて下山して、撮影に入ったわけです。


 ――インドに2年間、行かれたそうですね。

 
滝田 家康の撮影を終えたときに、いつか僕も坐禅をやってみようと思っていましたし、臨済寺の境内を一緒に掃いていた当時の修行僧、阿部宗徹老師は、臨済寺住職と花園大学学長となりましたが、これまでずっと僕の成長や変化をみつめてくれています。
 その後、立派な人、偉い人を演じても、自分自身まだ足りない、僕自身の人生は意味がなくなってしまうのではないかと思って、いつかお寺に入って、心ゆくまで坐って、自分と相対してみる作業をしてみたかったのです。
「レ・ミゼラブル」は前日まで愚かだったのに、司教と出会い、心を入れかえて、今日からはよく生きようと思った男の物語で、「生まれ変わるんだ!」という絶叫がテーマになっているのです。16年間それを演じて、若い人に交代する頃に、多くの人たちが滂沱の涙で感動してくれた。帝国劇場のお客様が全員立ち上がって拍手をしてくださったのです。
 その「レ・ミゼラブル」を終えた同じ年に、20年間司会を務めた「料理バンザイ!」という番組が、スポンサーの不祥事で突然終了していたのです。これらは残念な出来事ではあるのですが、そのときチャンスだと思った。
 仕事も一旦すぱっと切れたので、自分はどのくらいのものなのかというのを、探ってみたくて……。一人になってみないとだめだ、誰も知らないところに行って、胸に手を当てて坐ってみようと思って、サンスクリット発祥の地と言われる南インドのアンダラ州へ行きました。古代からのインドの聖者がその地域から多く生まれ育っていると言われるところで、お釈迦様の仏蹟を訪ねながら2年間坐りました。(笑)
 その後も長野市の大本山活禅寺の門弟として、禅の修行に打ち込んでいます。大勢の人たちと坐禅をしたあと、インドで修業中に食した乳粥を味わいながら、現代人としての正しい生き方を探求しているのです。

母親の死を契機に仏像を彫り続ける

 ――大僧正の瀬戸内寂聴さんが「滝田さんは、俳優としてはどうだか知りませんが、仏師としての腕は本物ですよ」とおもしろく述べております。仏像の彫刻を始めた理由は?

 
滝田 瀬戸内先生とは、雑誌等で対談したり、僧侶になるよう勧められた仲です。(笑)
 僕の母は100人もの弟子に着物の仕立てを教えていましたが、4人目の僕を身籠もったとき、生まれつきの心臓弁膜症が発覚し、医者から出産を止められてしまうのです。それでも命がけで産んでくれたのが僕で、彼女が心臓の持病を悪化させ、入院する度に、死を強く意識するようになりました。そんな母が亡くなったとき、何と感謝をしてよいかわからず、どう供養しようかと思案していたのです。
 そんなある日、以前、宮本武蔵をドラマで演じたときに、武蔵が観音像を彫っていたシーンを思い出して、「そういえばうちの母も観音様が好きだったな」と、観音様に願いを込めて、下手なりに彫ってみたいと……。
 すると、ある仏師との縁ができて、「鉛筆をナイフで削れる指先があれば、誰でも仏像は彫れます」と言われ、その日のうちに小さな角材と彫刻刀を何本かもらってきて、先生の作品を手本にして彫ったら彫れたので、母の仏壇の隣に置いて供養しました。
 それから数年後に父が他界し、「今度はもう少し大きいのを彫ってみよう」と思い、母のときより約3倍の仏像を1週間で彫りました。そのように供養のために始めたことに嵌ってしまい、仕事の合間に時間ができると仏像を彫るため八ヶ岳の山荘を訪ねています。
 今は僕の等身大の仏像を彫っています。

 ――抜刀術(居合)の有段者であり、時代劇の殺陣で剣術を使う場面には本物の技を披露することもあるそうですが。

 
滝田 萬屋錦之助(中村錦之助)さんの立ち回りがすごいとかねがね思っていて、どういう練習をしているのか調べたら、居合いを兼ねて真剣を使っていると聞いて、それを超えるには型ではなくて実際に切るしかないと。それで、竹や巻藁、最終的には柱や鉄を切りまくって、真剣を何本か壊したほどです。
 木刀と真剣の違いを体感し、真剣の扱いを体得しました。
 福岡ソフトバンクの王貞治監督は読売巨人軍の現役時代、フラミンゴ打法をマスターするのに荒川博打撃コーチから「バットの芯を覚えろ」と言われて真剣で練習しました。刀の場合は芯でなく、刀尖、刃筋と言うのですが、身幅という刀の幅はそんなにない。厚さが数ミリです。その中心線は僅かで、それが通れば切れるのですが、それが少しでも反っていると、刀が曲がってしまいます。
 刀の芯を極めてしまえば、野球の球を芯に当てるのは容易だと思います。それを極めたわけですから、王さんはすごい。(笑)。

2009年7月10日金曜日

■玄侑宗久のなぜ坐禅か




ss

人間は、ものを考える能力を手に入れた代わりに動物的な勘を失っ
てしまったんだと思います。子どもは言葉を使って理論的に説明する
ことができない代わりに勘が優れています。犬や猫も「あいつは敵だ、
こっちは味方だ」といったことを敏感に察知する能力がある。この勘こ
そが人間が生きていくうえでもっとも大切な力なのに、言葉や理論で
ものごとを捉えられるようになると、今度は勘が衰えてしまう。
坐禅には、本来人間が持っていたこの勘を呼び戻す作用があるの
だと思います。坐禅をすることで、頭の中に概念のない状態、つまり
何も考えない状態を意図的に作り出します。その状態を作り出すに
は、何かに集中するのもいいですね。ただし、お菓子を焼くために
無心に卵白を泡立てるとか、包丁を研ぐとか、そういった結果を期
待するものはだめ。掃除はいいです。この場合、きれいにすること
よりからだを動かして集中することが目的ですから。ここを忘れない
ことです。つまり、途中で止めても問題のないことをするのが大事
なんです。落ち葉拾いは途中で止めても困りません。そう考えると
逆立ちもいいです。意識を集中させていないと倒れますから。
実は、意識を集中させるにはからだを動かす方が簡単です。坐
禅は敢えて動かずじっと坐り続けなければなりませんから、厳しい
のです。そこまで負荷をかければ見えてくるものがあります。そうは
いっても、一回や二回で会得するのは到底無理ですから、まずは
やってみることです。
坐禅の流儀はというと、私の属する臨済宗でも、曹洞宗、黄檗宗
でも脚の組み方と眼を半眼に保つ点は同じです。眼を閉じると思
考が完全に自由になってしまうので、半開きにします。坐り方は、
臨済宗と黄檗宗は対面(ほかの人と向き合って坐る)、曹洞宗は面
壁(壁に向かって坐る)です。

ss
何も考えないというのはけっこう難しい。だから、坐禅では意識的
にからだの内部感覚というものを使っていきます、たとえば息を吸っ
て頭から3センチくらい上まで満ちた何かが息を吐きながら全身に
広がっていく。こんなふうに頭の中に描いたりして自分のからだを
飼い馴らし、その感覚で遊んでみることです。
坐禅を体験して足が痛いという人がいますが、「痛い」というのは
概念です。からだの感覚は「痛い」というひと言で済まされるような
大雑把なものではないはずです。「左脚のふくらはぎのこちらが突
っ張っているな。反対に、こちらがゆるんでいるな」と細やかに、順
番に感じ取っていくのがからだの内部感覚に耳を傾けるということ。
これから坐禅をする人は、こんなふうにからだに意識を向けることを
知っておくと、坐禅もきついだけには終わらないんじゃないでしょうか。
「無」にならなければ、ということも考えない方がいい。「無」を意識
すること自体、すでに概念にとらわれているということですから。身動
きひとつしちゃいけないということでもありません。少しは動いていい
んですよ。警策は動いたから振り下ろされるのではなく、眠気を取っ
てあげたり、励ます、ほぐすなど、いろいろな意味があるんです。大
切なのは、微動するにしてもからだのどの部分がどのように動いて
いるかを細かく実感することです。
坐禅を会得していくまでには、誰でもある程度同じようなこころとか
らだの変化の道筋を辿ります。その意味では坐禅も経験科学です。
そしてからだはこころの噐。「安らぎを感じています」という人の肩が
パンパンに凝っているということはあり得ません。からだがほぐれて、
初めて安らいだこころが自然に生まれてきます。
遠い昔にお釈迦様が厳しい修行の末に辿り着いた解脱と真理へ
の道を、凡人の私たちもお釈迦様の背中を見ながら歩んでいこうと
いうのが仏教。それは我が身の中に仏を見出す旅なのです。すで
に合掌して佇む仏像は、実は私たちの中にある仏を拝んでくれて
いる。だから私たちも仏像に向かって拝み返すんです。坐禅で頭
から概念を取り払うことによって、段々と自分の中の仏様に出会っ
ていけるはずです。

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■なぜ坐禅か(屋久島の坐禅道場)

坐禅修行と日課
屋久島坐禅道場から

今なぜ坐禅・修行か

人が健康的に活動し、生活していくために必要なもの。体力面と精神面との調和・充実。それらを支え、大きく関係しているものが環境と食。体が不調を来たし、日常の活動が意のままにならない、必要に応じた行動が出来ないのは、これらのものが整わない事によるものです。先ずは現代社会において、不足し偏重されがちな面、環境と食を冷静に見て取り、その不足を補いましょう。或いはもっと改善し、身心共に鍛えましょう

分かり難いのが心の病、難治ともなり易い心に刺さった毒矢。毒矢は、速やかに抜き去らなければなりません。抜いたなら毒消しをし、傷口を縫合する。その上で自らの治癒エネルギーを待ちます。長く患っている人を見ると、どうもその処置を誤っているのではないかと、そう思えて仕方のない所があります。

どんな人の心にも体にも、エネルギー、活きていこうとする力が満ちています。あふれるエネルギーを持ち合わせているのに、使おうとしないで、エネルギー源に自ら蓋をしてしまっている。その蓋を我執と言う。偏狭な我執を忘れさせ、そのエネルギーを引き出しましょう。押えておかないで、隠しておかないで、活用出来るようにしましょう
その為の当山での坐禅であり、修行であります。



元気とは元になる気、内から湧き上がる生命力、活動力、エネルギーです。自我の古着を脱ぎ捨て、自分に挑みかかる、挑戦するようなワイルドなエネルギー自分の知る知らない内に、座禅と日課を勤めていく内に、これらが蓄えられていくのです。

と、いうことで
当山は坐禅をしたい方、修行をしたい方に広く門戸を開放しております。

2009年7月9日木曜日

■なぜお寺に行くか

月刊誌「いきいき」8月号に京都・法然院貫主の梶田真章さんのお話が載っています。
タイトルは「寺へ足を運んでください」です。


1、現代はまさに寺が新たな拠り所となれるかどうか

 現代はまさに寺が新たな拠り所となれるのかがとわれる時代です。
 今日まで寺は荘氏紀と法事を営むことにだけ精力を注いできました。私は冒頭で「日本の仏教を真実の意味での荘氏紀仏教にする」と申しましたが、それは人が生き死にできる仏教にするということです。
葬式仏教といっても、葬式のときにだけかかわるのではなく、普段からみなさまと繋がりを持ち、「この住職に葬式をやってもらうんだ」というお付き合いがあってこそ、すばらしい葬式ができます。そのときになって突然呼ばれ
てもなかなかいい葬式は出来ないと思います。



2、先祖教では満足できなくなった
 これまで多くの寺は葬式と法事に追われ、みなさんにお釈迦様や各宗派の教えを説いてきませんでした。みなさんの側も、とにかく葬式ができたら法然でも空海でもどちらでもいいという感じでした。
 そういう宗教心で日本人は高度成長期までやってきました。近年は先祖教では満足出来ない人が増えてきました。そうした人たちへの対応が、寺として完全に遅れてきたことが今、浮き彫りになっているのだと思います。

3、人生はままならず
 私の人生は自分で決めているようで、実は周りとのご縁で決まっていくのです。だから人生はままならず、生きていくのに悩み苦しむのは当たり前なのです。
苦しみたくなかったら「我にこだわるな」とお釈迦様はいいましたが、そんなことを言われても簡単に煩悩を断てないのが人間なのです。


4、煩悩を絶つ二つの方法
 ①他力
  この世では煩悩を絶てないのが人間だから、とにかく阿弥陀様を信じて、信心によって極楽に生まれ、そこで成仏させていただこう。

 ②自力
  自力で修業して悟る


これからの寺は、仏と人、人と人、人と他の生きもののつながりを実感していただける場を提供していかなければならないと思っています。各お寺はみなさんの「ふるさと」になれるでしょうか。みなさんも、信仰、学び、安らぎ、出会いの場としてどうぞお寺へ足をお運びください。

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(まとめ)
・お寺ができる三つ方法・・・でもいいのではないでしょうか
 ①先祖教
 ②他力の念仏(例:ナミアブダブツ)
 ③自力の修行(例:坐禅)

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2009年7月8日水曜日

■黙泉「7月号」

秋田維摩会 7月号 会報です。

2009年7月2日木曜日

■大悲寺の「お宝」が見られます

秋田市寺町大悲寺で文化財の研修会があります。
秋田市文化財保護協会の主催で、わが秋田維摩会会員も研修会に参加できます。
古刹大悲寺の「お宝」が見られますよ。












2009年6月21日日曜日

■秋田さきがけの取材がありました

6月20日(土)の例会には、多くの新しい人たちがお出でになりました。
また、秋田さきがけ新報社さんが取材にお出でなりました。さっそく翌日の(6月21日(日)の新聞に掲載されました。ありがとうございます。

秋田さきがけ 平成21年6月21日

























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2009年6月20日土曜日

秋田維摩会6月号会報です。

2009年6月3日水曜日

■秋田維摩会の師家:盛永宗興老師

秋田市寺町大悲寺・秋田維摩会の道場主:笹尾住職の中外日報寄稿文です。

2009年5月11日月曜日

2009年4月3日金曜日

■会報 黙泉4月号

会報・黙泉4月号です。
春の集いが10~11日に行われます。
11日は阿部宗徹老師の講演と、泰書会の佐藤蓉子秋田教室主幹事のお話と実演があります。




クリックで拡大できます

























2009年3月28日土曜日

■阿部老師春の講演会

阿部宗徹老師の春の「禅の講演会」が行われます。
4月11日選挙の前の日です。
場所は千秋公園入口のジョイナスです。
時間は10:00~12:00
演題は「今を生きる」

前半に、力強い書が特徴の泰書会、
本部常務理事・秋田教室主幹事の阿部蓉子氏の
お話と実演があります。

(パンフレットはクリックで拡大できます)

2009年3月13日金曜日

■大悲寺道場主の投稿

大悲寺の笹尾住職が中外日報に投稿しましたので掲載します。
曹洞宗の板橋禅師の著書についてです。



■会報・黙泉3月号です

秋田維摩会の3月号会報です。
クリックで拡大します

2009年2月23日月曜日

■宗教家としての南針軒老師

秋田市大悲寺住職・笹尾哲雄住職の中外日報への投稿です。





























■南針軒老師について

秋田維摩会歴代の老師 今海は南針軒老師です。
道場主の笹尾住職の中外日報投稿です。


■徳源寺の古仲鳳州老師のこと

秋田維摩会の道場主・大悲寺住職・笹尾哲雄(宗古)さんの、中外日報への投稿です。






クリックで拡大できます














































2009年2月6日金曜日

■会報・2月号

秋田維摩会 会報 「黙泉もくせん」2月号です。平塚総務部長さん御苦労さまです。





クリックで拡大
できます











































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2009年1月12日月曜日

■調和道・丹田呼吸法とは

明治時代に起こった日本の三大呼吸法は岡田式静坐法二木式腹式呼吸法秋田県出身医師)、藤田式息心調和法があります。
藤田霊斎が開発したのが、わが調和道協会の調和道・丹田呼吸法です。
前の会長が帯津良一さんで、現在は日野原重明さんです。

腹式呼吸法を技術として、また心の面から、そして医学の面からとらえております。

石井巡堂のブログ」に掲載されています。

詳しくはクリックでどうぞ!!



腹式呼吸で吐くときに下腹・丹田が充実します。
ミロのビーナスのおなかが理想の姿です。

みぞおちのところに括れができるように訓練。










いきなり訓練でなく、緩和の呼吸から














最も基本の呼吸法です。
この方法で何度も何度も。
みぞおちの所に括れの線が出るまでには1~2か月か!!












両手で
片方は下から、下腹を持ち上げるように
もう片方は、掌でみぞおちをさする。











下腹に力が入るようになれば、自転車の空気入れのように、呼気(吐く息)
に力が入って、悪い物を吐きだし、その反動で新鮮な空気が大量に入ってくる。









呼気(吐く息のとき)は声を出す。脳が陰圧にならないように!!
ウーム、ウーム、ウム、ウムと


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2009年1月11日日曜日

■三拝と五体投地の違い

三拝と五体投地はどう違うのでしょうか?

秋田さきがけ新報の連載に五木寛之さんの「真鸞」があります。さすがは現代日本の第一人者。毎日楽しく読ませていただいております。
昨日のところに「五体投地」がでていました。








引用です
範宴は最初はゆっくりと、五体投地の動作からはじめた。
床に両膝、両肘をつき、頭(こうべ)をたれて額を床にふれる。
のばした両手の掌(てのひら)、み仏の足をいただくようにかえし、心から礼拝する。

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しかし、五体投地は世界の中では次の写真のように行うことだようです。















阿部宗徹老師の「三拝」の様子です。
み仏の足をいただくようにかえし、心から礼拝する・・・そのものですね。
上記、五木寛之さんの「五体投地」の動作が「三拝」そのものです。

どうも、日本では「五体投地」というのはなじまないのではないのでしょうか。