秋田で104年の歴史
秋田維摩会の坐禅
秋田維摩会会長 石井護
一、秋田維摩会とは
秋田維摩会は、秋田市寺町大悲寺(臨済宗)で104年の歴史を刻む、一般市民のための坐禅会です。道場主は笹尾宗古住職で毎月第三土曜日が例会です。秋田の各界の人々が100年以上修行を積んできた大きな理由は、毎年秋に京都から老師(禅の指導者)が訪れ、集中坐禅会(摂心)が行われることにあります。今年の集中坐禅会の様子をふまえながら、坐禅会とはどんなものかお伝えします。
二、阿部老師のご到着
十月十一日午後二時阿部老師が秋田空港ご到着、会員一同がお迎えします。阿部老師はにこやかなお顔で「やあみなさんこんにちは!お久しぶり!」と気さくに降りてきました。阿部宗徹老師は静岡市の臨済宗専門道場、徳川家康ゆかりの臨済寺で二0名の雲水のご指導の傍ら、花園大学学長を務められております。静岡と京都を新幹線で毎日というくらい往復する、超多忙なお方です。それなのに、秋田に四日間も滞在し指導していただけるのです。
三、夜の坐禅会
①午後六時に和合のお茶
大勢の市民や、静岡からの修行僧も参加し、一年ぶりの集中禅会(摂心)が始まります。「これから四日間よろしくお願い致します、集まった人々が和合して修行します」という儀式のお茶をいただきます。
②坐禅
約二〇分の坐禅を二回行います。雲水(修行僧)がケイサクを持ってゆったり回ります。眠くなったり、集中できなかったら、近くまで来た時に、合掌の合図をしてケイサクをお願いします。前にかがんで雲水のケイサクで打たれると、「ビシッ、ビシッ」と小気味よい音がして気持ちが引き締まります。決して罰で打たれるということではなく、自分で求めて打たれます、気持ちがいいもので私は坐禅会の楽しみの一つです。
③午後七時からは提唱(講話)です。
漢文のテキストをもとに老師の講話があります。昨年までのテキストは「十牛図」でした。修行の段階を牛との関係に合わせて十段階に説いたもので、一般にも知れ渡ったお話です。今年からは「臨済録」となりました。阿部老師の最も熱の入る提唱です。難しいお話ですが老師は文章の解釈だけでなく、一般事例をひきあい、易しく解き明かします。これから何年かに渡って「臨済録」が続きます。
④午後八時からは参禅です。
いよいよメインの参禅です。参禅というのは老師からいただいた公案(問題)
の解答することです。いわゆる禅問答で、臨済宗の特徴です。
本堂で坐禅をしていると合図があり、順番に廊下で待ちます。自分の番がきたら鐘を打ち鳴らし、老師のおられる奥の間に向かいます。奥の間では、普段は柔和な老師が鬼のように見えるのですから、緊張し震えが来ます。老師に公案を答え、終わったらチリリンと鐘が鳴らされ、戻ります。また本堂に戻って坐禅を続けます。この参禅はこれから八回行われます。
全員が揃ったら今日はこれで終わり。自宅に帰ります。
四、朝の坐禅会
①午前五時半から読経
朝は五時半までにお寺に到着し、着替えます。五時半から六時までは読経の時間です。「般若心経」と「坐禅和讃」以外は、大体が意味不明なお経ですから、朝の体操と考え、お経に合わせて腹式呼吸をやっています。大声で唱えて下腹の丹田に力を入れます。
夜と同じく参禅です。
③粥坐(朝食)
参禅が終わったら粥坐(朝食)です。老師も参加し皆で朝食の坐につきます。
作法に従っての食事は、雲水がご飯、みそ汁、野菜のおひたしと漬物を順番に持って廻ります。一汁一菜の食事を感謝しながらいただきます。音を出さずにタクアンを食べるのはなかなか大変、それに食べるが結構早いのです。臨済宗は何事においてもキビキビしています。大きな釜で炊いたご飯やみそ汁はおいしいものです。特にこの頃は秋田こまちの新米が出ますので特においしく感じます。
④茶礼(お茶会)
朝ご飯が終わったら、老師を囲んでお茶です。先ほどの鬼のような顔がもういつもの柔和なお顔になっています。雲水さんが立ててくれた抹茶、そして京都のお菓子をいただきながら、世間話や禅の話などに花が咲きます。お茶を何度かお代りしながら楽しいひと時を過ごします。
五、日中の行事
①二日目の午前中には、五人の雲水(修行僧)による托鉢があります。コースは大悲寺から秋田駅まで、秋田駅から通り町経由で大悲寺まで。五人が揃った托鉢姿は壮観です。「ホーー ホーー」と大きな声を出しながら歩きます。秋田市民にはなじみが薄かったのですが、四年目になりましたので、秋田駅では市民がお布施をし、雲水から読経をいただく風景が目につくようになりました。
②三日目の午前中は、阿部老師の講演会が大悲寺であります。「今を生きる」が演題で、大勢の市民が大きな感動をいただきました。
この講演の前に、会員であり、剣道の達人であるYさんに「『「剣と禅』現代の護身に生かす剣」を披露していただきました。Yさんは若い頃から剣道を修行し、あるとき「剣と禅」で有名な山岡鉄舟に共鳴して坐禅会に入ったものです。Yさんは「今があるのは坐禅のお陰」と言っております。坐禅がなぜ必要だったのかを先人の言葉から引用してみます。
六、なぜ坐禅をするのか
①武道における精神作用の極意は「全身これ精神」でなければならない。どのようにすればこのような域に達することができるか。これには二通りがある。
一つは二十年三十年の長い歳月、全身全霊を打ち込んで苦練修行した結果に到達する。もう一つは瞑想等の特別な方法で意識統一の錬磨をやってその域に到達する。前者によることは無類の健康人で、気根精力とも絶倫な異常人でなければ不可能で、到達した人は古今を通じて非常に少ない。そのため古来からその道で技に熱中する反面、禅を修し、瞑想を凝らし、精神錬磨に努力して「全身是れ心」の奥儀に達する道を選んだ達人が少なくない。
②「全身是れ心」となる方法とは、まず初めに雑念を取り去り意識の統一ができるようになることが必要。それには精神を一定の場所に集め、一定のことに集中する稽古に熟さなければならない。一定の場所とは丹田のことである。その凝固した精神力を次第に全身に拡充する。これが昔から「気海丹田で心を練る」ということである。(以上は丹田呼吸法の藤田霊斎師より)
③臨済宗の坐禅では公案をもとに修業します。公案の最初は「無」であり、「ムームー」とやっています。これは一定の場所に精神を集中することをねらったものです。私の身体といのち(大いなるいのちと繋がったもの=潜在意識の奥にあるもの=本当の自分)とが一体になることを修行し、次には私の身体といのちの働きが一体のなることを修行します。いつかは「念ずれば花ひらく」ことになります。武道でも我々の仕事でも同じことが言えます。現代で禅を修めている人には中曽根康弘氏、稲森和夫氏等がおります。
七、良き師との出会い
最終日は朝の行事を終わり、維摩会物故者の追悼法要を行い、秋田空港へお送りして終わります。
「太上は天を師とし、その次は人を師とし、その次は経(本)を師とす」と古書にあります。今は天を師とすることはむずかしい時代です。もちろん本で勉強はします。われわれ秋田維摩会員は、坐禅会で現代の最高の師に出会い、直接指導を受けることの幸せに感動いっぱいです。
以上秋田維摩会の集中坐禅会の様子を通して、坐禅のご紹介をさせていただきました。例会は毎月第三土曜日午後二時から大悲寺において開催されております。どなたでもお気軽にお出で下さい。春と秋には阿部老師にお会いできますよ。
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