2009年7月9日木曜日

■なぜお寺に行くか

月刊誌「いきいき」8月号に京都・法然院貫主の梶田真章さんのお話が載っています。
タイトルは「寺へ足を運んでください」です。


1、現代はまさに寺が新たな拠り所となれるかどうか

 現代はまさに寺が新たな拠り所となれるのかがとわれる時代です。
 今日まで寺は荘氏紀と法事を営むことにだけ精力を注いできました。私は冒頭で「日本の仏教を真実の意味での荘氏紀仏教にする」と申しましたが、それは人が生き死にできる仏教にするということです。
葬式仏教といっても、葬式のときにだけかかわるのではなく、普段からみなさまと繋がりを持ち、「この住職に葬式をやってもらうんだ」というお付き合いがあってこそ、すばらしい葬式ができます。そのときになって突然呼ばれ
てもなかなかいい葬式は出来ないと思います。



2、先祖教では満足できなくなった
 これまで多くの寺は葬式と法事に追われ、みなさんにお釈迦様や各宗派の教えを説いてきませんでした。みなさんの側も、とにかく葬式ができたら法然でも空海でもどちらでもいいという感じでした。
 そういう宗教心で日本人は高度成長期までやってきました。近年は先祖教では満足出来ない人が増えてきました。そうした人たちへの対応が、寺として完全に遅れてきたことが今、浮き彫りになっているのだと思います。

3、人生はままならず
 私の人生は自分で決めているようで、実は周りとのご縁で決まっていくのです。だから人生はままならず、生きていくのに悩み苦しむのは当たり前なのです。
苦しみたくなかったら「我にこだわるな」とお釈迦様はいいましたが、そんなことを言われても簡単に煩悩を断てないのが人間なのです。


4、煩悩を絶つ二つの方法
 ①他力
  この世では煩悩を絶てないのが人間だから、とにかく阿弥陀様を信じて、信心によって極楽に生まれ、そこで成仏させていただこう。

 ②自力
  自力で修業して悟る


これからの寺は、仏と人、人と人、人と他の生きもののつながりを実感していただける場を提供していかなければならないと思っています。各お寺はみなさんの「ふるさと」になれるでしょうか。みなさんも、信仰、学び、安らぎ、出会いの場としてどうぞお寺へ足をお運びください。

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(まとめ)
・お寺ができる三つ方法・・・でもいいのではないでしょうか
 ①先祖教
 ②他力の念仏(例:ナミアブダブツ)
 ③自力の修行(例:坐禅)

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