2009年7月30日木曜日

■滝田栄さんと坐禅

秋田維摩会では2009・10・26日に、大悲寺の大摂心会の一貫として、「滝田栄さんと花園大学学長阿部宗徹老師の対談」を開催します。

そこで、滝田栄さんの人生について、坐禅との関わりについて、阿部宗徹老師とのつながりについて調べましたので掲載します。映画「不撓不屈」を語るより



 滝田 劇団四季のミュージカル「ジーザス・クライスト=スーパースター」のユダ役で注目され、NHK大河ドラマ「徳川家康」や朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」と立て続けに声をかけていただき、出演することができました。




 ――「家康」を演じた際、山岡荘八の『徳川家康』(講談社)を全巻読まれたそうですね。


 滝田 もともとは『レ・ミゼラブル』が世界で一番長い小説で、それを山岡先生がもっと大きなドラマがあるから、といって『徳川家康』に挑戦されたと聞いています。僕は、その両方を演じたのですけど。(笑)

 ――役を演じるために、「徳川家康」では、お寺で修行をされたとうかがっています

 滝田 原作とシナリオに、家康が竹千代と呼ばれた少年時代、臨済寺で太原雪斎禅師に軍学を学んだとある。でも今川方の大参謀の雪斎禅師が敵方の人質の子に戦の仕方を教えるはずがないという疑問が浮かんだのです。
 それで、僕のインスピレーションというか、すがる思いで、臨済寺を電話番号案内で調べて、「家康を知りたいので、置いてほしい」と電話をしたところ、「ここは臨済禅の僧堂で、開山以来全く変わらない厳しい生活をしているので、一般の方はご遠慮願いたい」と言われました。僕は、「素足で、地面を歩いたら竹千代と同じことを感じるかもしれない、それだけでいいから置いてください」と懇願したところ、「そこまで言うなら一日でも二日でも来てみなさい、ただし厳しいですよ」という返事でした。
 それで、すぐに飛んでいったら、山門が閉ざされていて、「参禅中につき拝観謝絶」とあり、横の潜り戸から入ったら、俗界と全く違う。ある緊張感も伴って、張りつめた空気があった。あと、大きなお寺ですが、塵一つない見事な庭で、400年以上前と全く変わっていない、これは何かあるなと感じました。
 修行僧と庭や本堂の掃除、食事の時間を共にし、彼らの坐禅中は部屋で心行くまで勉強し、そこで原作を読んだりしたわけですが、どうしても疑問が解けない。当時、僕は若く、大河ドラマの主役ということで気分が舞い上がって、馬にまたがり合戦に出ていくような、そんな外面的な英雄像を格好よく見せてやろうといった、雑念、妄想が全身を支配していて、人の苦しみや悲しみを表現する、人間のドラマだということが吹っ飛んでいたのです。
 そんなとき、「ご隠居」と呼ばれていた倉内松堂老師が、「お勉強は捗りましたか。たまには息抜きにお茶でもどうですか」と、お茶に呼んでくださいました。そこで、甘い、渋い、苦いという三杯のお茶を体験し、「甘、渋、苦という三つの味わいをそろえて人生の味わいというんだ」といった話を聞いた後で、一枚の小さな掛軸を掛けられた。
 亡くなられたお釈迦様を囲んですべての生きとし生けるものが涙を流している。「なぜ泣いていると思うかね」と振られたので、「お釈迦様ほどの方になるとお別れが悲しいのでしょう」と答えたら、「そのとおりだ。慈悲という苦しみを楽しみに変えてしまう力を教えてくれた偉大な師匠が旅立たれ、その別れを惜しんでいる絵だ。おそらく雪斎禅師はここで竹千代にこの涅槃図を示して、こういう武将になれと教えたんだと思うが、いかがか」と来た。要するにお釈迦様のごとき慈悲心に富んだ武将になれと、竹千代に教えたわけです。
 そのとき、いつも黙って動かないが、遂に戦国の世を終わらせた家康の根本力がわかった。これさえわかれば、何をしていても、僕はもう家康でいられると確信を得た。それで、お礼を述べて、その日のうちに荷物をまとめて下山して、撮影に入ったわけです。


 ――インドに2年間、行かれたそうですね。

 
滝田 家康の撮影を終えたときに、いつか僕も坐禅をやってみようと思っていましたし、臨済寺の境内を一緒に掃いていた当時の修行僧、阿部宗徹老師は、臨済寺住職と花園大学学長となりましたが、これまでずっと僕の成長や変化をみつめてくれています。
 その後、立派な人、偉い人を演じても、自分自身まだ足りない、僕自身の人生は意味がなくなってしまうのではないかと思って、いつかお寺に入って、心ゆくまで坐って、自分と相対してみる作業をしてみたかったのです。
「レ・ミゼラブル」は前日まで愚かだったのに、司教と出会い、心を入れかえて、今日からはよく生きようと思った男の物語で、「生まれ変わるんだ!」という絶叫がテーマになっているのです。16年間それを演じて、若い人に交代する頃に、多くの人たちが滂沱の涙で感動してくれた。帝国劇場のお客様が全員立ち上がって拍手をしてくださったのです。
 その「レ・ミゼラブル」を終えた同じ年に、20年間司会を務めた「料理バンザイ!」という番組が、スポンサーの不祥事で突然終了していたのです。これらは残念な出来事ではあるのですが、そのときチャンスだと思った。
 仕事も一旦すぱっと切れたので、自分はどのくらいのものなのかというのを、探ってみたくて……。一人になってみないとだめだ、誰も知らないところに行って、胸に手を当てて坐ってみようと思って、サンスクリット発祥の地と言われる南インドのアンダラ州へ行きました。古代からのインドの聖者がその地域から多く生まれ育っていると言われるところで、お釈迦様の仏蹟を訪ねながら2年間坐りました。(笑)
 その後も長野市の大本山活禅寺の門弟として、禅の修行に打ち込んでいます。大勢の人たちと坐禅をしたあと、インドで修業中に食した乳粥を味わいながら、現代人としての正しい生き方を探求しているのです。

母親の死を契機に仏像を彫り続ける

 ――大僧正の瀬戸内寂聴さんが「滝田さんは、俳優としてはどうだか知りませんが、仏師としての腕は本物ですよ」とおもしろく述べております。仏像の彫刻を始めた理由は?

 
滝田 瀬戸内先生とは、雑誌等で対談したり、僧侶になるよう勧められた仲です。(笑)
 僕の母は100人もの弟子に着物の仕立てを教えていましたが、4人目の僕を身籠もったとき、生まれつきの心臓弁膜症が発覚し、医者から出産を止められてしまうのです。それでも命がけで産んでくれたのが僕で、彼女が心臓の持病を悪化させ、入院する度に、死を強く意識するようになりました。そんな母が亡くなったとき、何と感謝をしてよいかわからず、どう供養しようかと思案していたのです。
 そんなある日、以前、宮本武蔵をドラマで演じたときに、武蔵が観音像を彫っていたシーンを思い出して、「そういえばうちの母も観音様が好きだったな」と、観音様に願いを込めて、下手なりに彫ってみたいと……。
 すると、ある仏師との縁ができて、「鉛筆をナイフで削れる指先があれば、誰でも仏像は彫れます」と言われ、その日のうちに小さな角材と彫刻刀を何本かもらってきて、先生の作品を手本にして彫ったら彫れたので、母の仏壇の隣に置いて供養しました。
 それから数年後に父が他界し、「今度はもう少し大きいのを彫ってみよう」と思い、母のときより約3倍の仏像を1週間で彫りました。そのように供養のために始めたことに嵌ってしまい、仕事の合間に時間ができると仏像を彫るため八ヶ岳の山荘を訪ねています。
 今は僕の等身大の仏像を彫っています。

 ――抜刀術(居合)の有段者であり、時代劇の殺陣で剣術を使う場面には本物の技を披露することもあるそうですが。

 
滝田 萬屋錦之助(中村錦之助)さんの立ち回りがすごいとかねがね思っていて、どういう練習をしているのか調べたら、居合いを兼ねて真剣を使っていると聞いて、それを超えるには型ではなくて実際に切るしかないと。それで、竹や巻藁、最終的には柱や鉄を切りまくって、真剣を何本か壊したほどです。
 木刀と真剣の違いを体感し、真剣の扱いを体得しました。
 福岡ソフトバンクの王貞治監督は読売巨人軍の現役時代、フラミンゴ打法をマスターするのに荒川博打撃コーチから「バットの芯を覚えろ」と言われて真剣で練習しました。刀の場合は芯でなく、刀尖、刃筋と言うのですが、身幅という刀の幅はそんなにない。厚さが数ミリです。その中心線は僅かで、それが通れば切れるのですが、それが少しでも反っていると、刀が曲がってしまいます。
 刀の芯を極めてしまえば、野球の球を芯に当てるのは容易だと思います。それを極めたわけですから、王さんはすごい。(笑)。

2009年7月10日金曜日

■玄侑宗久のなぜ坐禅か




ss

人間は、ものを考える能力を手に入れた代わりに動物的な勘を失っ
てしまったんだと思います。子どもは言葉を使って理論的に説明する
ことができない代わりに勘が優れています。犬や猫も「あいつは敵だ、
こっちは味方だ」といったことを敏感に察知する能力がある。この勘こ
そが人間が生きていくうえでもっとも大切な力なのに、言葉や理論で
ものごとを捉えられるようになると、今度は勘が衰えてしまう。
坐禅には、本来人間が持っていたこの勘を呼び戻す作用があるの
だと思います。坐禅をすることで、頭の中に概念のない状態、つまり
何も考えない状態を意図的に作り出します。その状態を作り出すに
は、何かに集中するのもいいですね。ただし、お菓子を焼くために
無心に卵白を泡立てるとか、包丁を研ぐとか、そういった結果を期
待するものはだめ。掃除はいいです。この場合、きれいにすること
よりからだを動かして集中することが目的ですから。ここを忘れない
ことです。つまり、途中で止めても問題のないことをするのが大事
なんです。落ち葉拾いは途中で止めても困りません。そう考えると
逆立ちもいいです。意識を集中させていないと倒れますから。
実は、意識を集中させるにはからだを動かす方が簡単です。坐
禅は敢えて動かずじっと坐り続けなければなりませんから、厳しい
のです。そこまで負荷をかければ見えてくるものがあります。そうは
いっても、一回や二回で会得するのは到底無理ですから、まずは
やってみることです。
坐禅の流儀はというと、私の属する臨済宗でも、曹洞宗、黄檗宗
でも脚の組み方と眼を半眼に保つ点は同じです。眼を閉じると思
考が完全に自由になってしまうので、半開きにします。坐り方は、
臨済宗と黄檗宗は対面(ほかの人と向き合って坐る)、曹洞宗は面
壁(壁に向かって坐る)です。

ss
何も考えないというのはけっこう難しい。だから、坐禅では意識的
にからだの内部感覚というものを使っていきます、たとえば息を吸っ
て頭から3センチくらい上まで満ちた何かが息を吐きながら全身に
広がっていく。こんなふうに頭の中に描いたりして自分のからだを
飼い馴らし、その感覚で遊んでみることです。
坐禅を体験して足が痛いという人がいますが、「痛い」というのは
概念です。からだの感覚は「痛い」というひと言で済まされるような
大雑把なものではないはずです。「左脚のふくらはぎのこちらが突
っ張っているな。反対に、こちらがゆるんでいるな」と細やかに、順
番に感じ取っていくのがからだの内部感覚に耳を傾けるということ。
これから坐禅をする人は、こんなふうにからだに意識を向けることを
知っておくと、坐禅もきついだけには終わらないんじゃないでしょうか。
「無」にならなければ、ということも考えない方がいい。「無」を意識
すること自体、すでに概念にとらわれているということですから。身動
きひとつしちゃいけないということでもありません。少しは動いていい
んですよ。警策は動いたから振り下ろされるのではなく、眠気を取っ
てあげたり、励ます、ほぐすなど、いろいろな意味があるんです。大
切なのは、微動するにしてもからだのどの部分がどのように動いて
いるかを細かく実感することです。
坐禅を会得していくまでには、誰でもある程度同じようなこころとか
らだの変化の道筋を辿ります。その意味では坐禅も経験科学です。
そしてからだはこころの噐。「安らぎを感じています」という人の肩が
パンパンに凝っているということはあり得ません。からだがほぐれて、
初めて安らいだこころが自然に生まれてきます。
遠い昔にお釈迦様が厳しい修行の末に辿り着いた解脱と真理へ
の道を、凡人の私たちもお釈迦様の背中を見ながら歩んでいこうと
いうのが仏教。それは我が身の中に仏を見出す旅なのです。すで
に合掌して佇む仏像は、実は私たちの中にある仏を拝んでくれて
いる。だから私たちも仏像に向かって拝み返すんです。坐禅で頭
から概念を取り払うことによって、段々と自分の中の仏様に出会っ
ていけるはずです。

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■なぜ坐禅か(屋久島の坐禅道場)

坐禅修行と日課
屋久島坐禅道場から

今なぜ坐禅・修行か

人が健康的に活動し、生活していくために必要なもの。体力面と精神面との調和・充実。それらを支え、大きく関係しているものが環境と食。体が不調を来たし、日常の活動が意のままにならない、必要に応じた行動が出来ないのは、これらのものが整わない事によるものです。先ずは現代社会において、不足し偏重されがちな面、環境と食を冷静に見て取り、その不足を補いましょう。或いはもっと改善し、身心共に鍛えましょう

分かり難いのが心の病、難治ともなり易い心に刺さった毒矢。毒矢は、速やかに抜き去らなければなりません。抜いたなら毒消しをし、傷口を縫合する。その上で自らの治癒エネルギーを待ちます。長く患っている人を見ると、どうもその処置を誤っているのではないかと、そう思えて仕方のない所があります。

どんな人の心にも体にも、エネルギー、活きていこうとする力が満ちています。あふれるエネルギーを持ち合わせているのに、使おうとしないで、エネルギー源に自ら蓋をしてしまっている。その蓋を我執と言う。偏狭な我執を忘れさせ、そのエネルギーを引き出しましょう。押えておかないで、隠しておかないで、活用出来るようにしましょう
その為の当山での坐禅であり、修行であります。



元気とは元になる気、内から湧き上がる生命力、活動力、エネルギーです。自我の古着を脱ぎ捨て、自分に挑みかかる、挑戦するようなワイルドなエネルギー自分の知る知らない内に、座禅と日課を勤めていく内に、これらが蓄えられていくのです。

と、いうことで
当山は坐禅をしたい方、修行をしたい方に広く門戸を開放しております。

2009年7月9日木曜日

■なぜお寺に行くか

月刊誌「いきいき」8月号に京都・法然院貫主の梶田真章さんのお話が載っています。
タイトルは「寺へ足を運んでください」です。


1、現代はまさに寺が新たな拠り所となれるかどうか

 現代はまさに寺が新たな拠り所となれるのかがとわれる時代です。
 今日まで寺は荘氏紀と法事を営むことにだけ精力を注いできました。私は冒頭で「日本の仏教を真実の意味での荘氏紀仏教にする」と申しましたが、それは人が生き死にできる仏教にするということです。
葬式仏教といっても、葬式のときにだけかかわるのではなく、普段からみなさまと繋がりを持ち、「この住職に葬式をやってもらうんだ」というお付き合いがあってこそ、すばらしい葬式ができます。そのときになって突然呼ばれ
てもなかなかいい葬式は出来ないと思います。



2、先祖教では満足できなくなった
 これまで多くの寺は葬式と法事に追われ、みなさんにお釈迦様や各宗派の教えを説いてきませんでした。みなさんの側も、とにかく葬式ができたら法然でも空海でもどちらでもいいという感じでした。
 そういう宗教心で日本人は高度成長期までやってきました。近年は先祖教では満足出来ない人が増えてきました。そうした人たちへの対応が、寺として完全に遅れてきたことが今、浮き彫りになっているのだと思います。

3、人生はままならず
 私の人生は自分で決めているようで、実は周りとのご縁で決まっていくのです。だから人生はままならず、生きていくのに悩み苦しむのは当たり前なのです。
苦しみたくなかったら「我にこだわるな」とお釈迦様はいいましたが、そんなことを言われても簡単に煩悩を断てないのが人間なのです。


4、煩悩を絶つ二つの方法
 ①他力
  この世では煩悩を絶てないのが人間だから、とにかく阿弥陀様を信じて、信心によって極楽に生まれ、そこで成仏させていただこう。

 ②自力
  自力で修業して悟る


これからの寺は、仏と人、人と人、人と他の生きもののつながりを実感していただける場を提供していかなければならないと思っています。各お寺はみなさんの「ふるさと」になれるでしょうか。みなさんも、信仰、学び、安らぎ、出会いの場としてどうぞお寺へ足をお運びください。

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(まとめ)
・お寺ができる三つ方法・・・でもいいのではないでしょうか
 ①先祖教
 ②他力の念仏(例:ナミアブダブツ)
 ③自力の修行(例:坐禅)

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2009年7月8日水曜日

■黙泉「7月号」

秋田維摩会 7月号 会報です。

2009年7月2日木曜日

■大悲寺の「お宝」が見られます

秋田市寺町大悲寺で文化財の研修会があります。
秋田市文化財保護協会の主催で、わが秋田維摩会会員も研修会に参加できます。
古刹大悲寺の「お宝」が見られますよ。