・葬式で引導をわたしても誰も帰ってこない。私たちはどこへ行くのか。(ねたみを持って死ねば、ねたみの「千の風」が・・・)。・・・・知らなくていいのか・・・・「どこから来てどこへ行くのか、そして今・・・」・・・・
今・ここで・私が知らねばならない・・・まかせることができない。
・「善いことをせよ、悪いことはするな」・・・分かっているができない。アタマではよく分かっているが、生き様として(ハラでは)分かっていない。
・私のまこと・・・伝えることはできない、不立文字。お釈迦さまが迦葉尊者を選んだのか・・・ちょっとした生きざま・・・呼吸・所作に表れているのだ。
・信じあえる世界・・・何かを捨てる必要がある。それは自分の都合を=私だけが正しいという。
・衆生すべてのものに仏性がある・・・テロ、通り魔にさえあるのだ。
・坐禅して何があるのか
・一つ 引っかかりを捨てる (捨てる、落とす作業をする)
・しかし、また入ってくる
・また捨てる。その感覚を味わうことができる。(無理のない姿を捨てて、相手に合わせる)
・2000年前のお釈迦さまと向き合えるようになった。(それは心が一緒になるとそうなるのだ)
・「琴瑟相和して」・・・私の心の響きが相手の心になる。
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