2008年6月30日月曜日

■瑞巌寺での阿部老師講演要約

6月26日 松島瑞巌寺で阿部老師の講演会がありました。演題は「ものたらぬもの」でした。要約してお届けします。














・修行すれば特別な姿が見えるという人もいるが、そうではない。他所では「ブランド」で生きるが、私のところは「雑貨屋」だ。(瑞巌寺の老師から雑貨屋出身の次男坊との紹介をうけたもの)
・葬式で引導をわたしても誰も帰ってこない。私たちはどこへ行くのか。(ねたみを持って死ねば、ねたみの「千の風」が・・・)。・・・・知らなくていいのか・・・・「どこから来てどこへ行くのか、そして今・・・」・・・・
今・ここで・私が知らねばならない・・・まかせることができない。
・「善いことをせよ、悪いことはするな」・・・分かっているができない。アタマではよく分かっているが、生き様として(ハラでは)分かっていない。
・私のまこと・・・伝えることはできない、不立文字。お釈迦さまが迦葉尊者を選んだのか・・・ちょっとした生きざま・・・呼吸・所作に表れているのだ。
・信じあえる世界・・・何かを捨てる必要がある。それは自分の都合を=私だけが正しいという。
・衆生すべてのものに仏性がある・・・テロ、通り魔にさえあるのだ。
・坐禅して何があるのか
  ・一つ 引っかかりを捨てる (捨てる、落とす作業をする)
  ・しかし、また入ってくる
  ・また捨てる。その感覚を味わうことができる。(無理のない姿を捨てて、相手に合わせる)
・2000年前のお釈迦さまと向き合えるようになった。(それは心が一緒になるとそうなるのだ
・「琴瑟相和して」・・・私の心の響きが相手の心になる。
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2008年6月29日日曜日

坐禅会・秋田維摩会ブログスタート

秋田市寺町・大悲寺の坐禅会です。会長の石井護がブログでいろいろお伝えします。
石井巡堂のブログ・こざくらの丘」の枝別れです。
これまでのブログ石井巡堂のブログでした
臨済宗の坐禅会・秋田維摩会のものです。















大摂心を終えて、中央が阿部宗徹老師、右が大悲寺さん、左が会長の私です。



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