2008年10月10日金曜日

■阿部老師提唱「十牛図」(六-1)

平成18年10月7日

六・帰牛帰家(きぎゅうきか)-1

マドンナの公演に6万人、東京ドームで5万円なのに。つま恋の公演に3.8万人。
それは生き方(主張に)・・・共鳴した人々

問題提起
悩める老師・・・死刑執行について
執行する側・・・・・執行される側。 共鳴する側・・・・・共鳴しない側。

マホメット・・・預言者・・・神の刑罰・・・それを起こしたが
・啓示のときは神と同じ(コーラン)
・普段は普通の人(言行録」)
聖戦(ジハード)を正しいと信じ切っている。

禅宗教には経典がない。・・・問題提起
不殺生と言いながら、人が殺した肉を食べる・・・いいのか?
自分の物差しで判断・・・共鳴するかどうか

お釈迦さまは「近づいてはならない」・・・「危ういものに」
アナン尊者は・・・「仏の顔も三度まで:」と言われた(セクハラで)・・・「近づくな」
今は車です。当たり屋がいるから。

顧客満足度
何もないところから出る・・・十牛図
昔は・・・恵み、 今は・・・幸多い(外からやってくる、ハラいっぱい)
天地の恵み・・・不満足・・・探しに出た・・・十牛図である
○の中・・・永遠の恵みの牛
牛の姿(4つ、全身3)
十牛図は ○・・・初めからこの輪の中にいる

帰牛帰家・・・この輪の中にいることを納得した状態
どこに行く必要もなかった。ここでよかったのだ!!
・権威づけのためのブランドが必要・・・外には
・自分にはブランド不要
そのままの歌(俗曲)でよかった

目に見えるものすべて
悟り・・ひらきなおる(自分の世界に・ありのまま)
自分の今の姿を受けいれろ!!
真に求めれば・・・問題解決する





 

■阿部老師提唱「十牛図」(五-3)


平成17年10月9日

五、牧牛-3

牛も純熟・・・想いが行きわたった。
○―○=◎ 余すことなく、足りないことなく備わった。
仏も哲人も、普通の人も・・・・「花は紅 柳は緑」
誰にも同じ・・・苦しみ、悲しみ
違いは、それによって我を忘れることはないこと。

鏡はすべてを写す、残像は残らず=鏡がけがれないこと。
(プロゴルフアーがミスショットをしても・・・その余韻を残さない)

綱を引っ張れば引っ張るほど・・・本来はあるのだが・・・
今までのままで・・・つまづきながら生きているあかし
「青い鳥」は、求める人を笑ってうっちゃるだけ
「人生至る所青山あり」・・・古来の解釈では。

・泣くときは泣く 笑う時は笑う・・・目の前の環境に流されない
・鏡に写るよう(主体性)
泣く、悲しみ、笑い・・・ねたみ、怒り・・・命の光、私の人生。平然としているのではない。
ひとつひとつ乗り越え 気高くなった。
今さら逃げもしない。今のこの場で、いのちが輝きどうしではないか。
人格形成、自己実現・・・時間必要
苦節の式目があればこそ・・・一朝一夕ではできない。

やっと出会った牛(恋人)を見つけ、やっと一緒になった。
理想の追い求めた人・・・えっ、これが、この人が
①別れる
②乗り越えて仲良く・・・空気のような仲(歳月が人を変える)

秋田維摩会会員も自分を鍛え、外にアピールをせよ!
外に輝くように!!・・(内だけは修行のみだ)

日数経て・・・やっと身についた、この人生!!

■阿部老師提唱「十牛図」(五-2)

平成17年10月8日

五・牧牛(ぼくぎゅう)-2

十牛図でここが根本である。
・人生ポリシーを持つか、生き方に具現されているか?
この二つには距離がある。分かっているができない。

私・・・・牛    
知行合一、牛と私が一体、いかに一致、調和するか。

「一」をいだく、「法一」森先生
仏者の生きざまは牧牛である。

高く理想をかかげ、それに向かって・・・合一になるよう。実社会では何ができるか。
乾竹(乾いた竹)から油を絞るよう。人の修行(自分で目的設定)

ニート・フリーター、アスベスト、CO2問題・・・親、社会が放っておいた。(目先がよければ)
牧牛・・・個人のことであるが、国家、民族のことまで。

一般論の解釈は、竹とたづなを一時も離さないのは、牛がホコリにまみれないよう。
阿部老師の解釈は、牧牛は本来牛だから、たづなでつかまえていなくても、モウモウと泣いてひっぱっている。(どこでもどこでも)
・・・今さら何の工夫が必要か。泣いたり笑ったり生きているが。いつでもどこでもぴったり一緒なのだ。生まれた時から(自分自身なのだ)
吐く息、すべて、毛穴から・・・
いつも牛とともに歩んでいる

一般論ではそうだが、老師の新説は
「いつもいつも、ともにいたのだから、私のそばになついている
いつも 相引いて、ピッタリの世界
こっち あっちとしなくても 同じ歩調で生きていける。」

インドでは、牛が散歩している・・・そして家へ帰る。
先頭は風格のある牛。・・・他の牛がついていく

牛は本梨乃所にいると分かっているが

私たちのありかは実社会である。
何にでもなりうるし、なってきた(すべてのものに)
「純粋の本来の私」はまだなったことはない・・・理論上だけ。
観念でなく、この現実に生きる。
○○から◎オンリーワン・・・対立がない
心の葛藤で二者の足がからんで転倒することはない。
たった一つのいのちで生きている。

来住の人・・・役人、学者、先生・・・世間との係わり
それにとらわれず、牛と人が同じ調子で生きれば、本来のいのちの働きは

「泣くことも 笑うことも 牛の声」

2008年10月9日木曜日

■阿部老師提唱「十牛図」(五-1)


平成17年10月7日

五:牧牛 -1

悟りはなくてもいい。しかし禅的センスが欲しい。
少ないと何でもやるが、多いと分散する。差が出る。
全体のマネージャーがいない時代になった。


牧牛・・・本来は綱がない。放し飼い・・・キリスト教の牧場=野放しでも成り立っている。
幸せで生きたい。一本道(いのち、私)

本心に目覚める・・・大いなるこころ
この世界で生きている以上、この世界にたづさわらなければならない。
オンリーワン(無位の真人)・・・朝顔を洗う、ご飯を食べる・・・なんでもなれる。仕事でも主体性をもって生きる。
主人公たる自分自身が分からない。着る物だけ考えている。
いのちはこの世界に満ち満ちているではないか!!

自分の手で、足で、口で・・・この世界を生きていく。証拠を残す。
金があっても満足ではない。
今・ここ・私・・・自分が何者か! 何をすべきか! 一歩も足を止めない。歩みを止めてはならない。一本道を歩いている。

元から持っていたいのち。
元から牛、ピッタリ牛と私が一つになっている。ひっぱらなくても離れることはないのだ。まるごと私なのだ。
内なる自己の呼びかけが私たらしめた。
実はひっぱっている内らの牛であった!!!

万が一の時に的確に対応する。

10・8(振り返って)
牧牛は本来牛だから、手綱でつかまえなくてもモウモウと泣いてひっぱっている(どこでも、どこでも)
今更なんの工夫が必要か!
泣いたり、笑ったり生きているが・・・いつでも、どこでもピッタリ一緒なのだ。生まれた時から自分自身なのだ。

■阿部老師提唱「十牛図」(四)


平成16年10月28日
阿部宗徹老師の秋田維摩会大摂心・大悲寺での提唱 をダイジェストで記します。

四:得牛(とくぎゅう)

牛とは・・・自分の命、生き方のこと。
自己同一・・・アイデンテイテイの確立・・・40歳で不惑
人生の目的を定め・・・一向工夫(方法はいろいろ)・・・人生を歩く(創造的人生を!)

行に生き・願に生き・・・菩薩の行願
(秋田維摩会も外に働きかけること。自分の力をつけ外へ働きかける。人の心をうつものを。)
願を持たない者には教えない。協力しない。

自分が自分のいのちを生きるのだ。今日決めるのだ。
ショパンの例
病気になった・・・ヒラメキ・・・こう生きると決めた=ショパンの弾き方が変わった。」

固まった心をほぐすには・・・ムチで打つか!・・しかし時代が変わった。
この寒い冬を、自分の体温で生きる人間がいなくなった。

平成17年10月7日(振り返って)
初めから決まっていない。
最初から私自身であった。すべてがいのちの光明であったのだ。口、手、足。
契沖の車・・・・・車の本質=走ること
私が生きている、動いているとき「いのちの感動」がある。
一瞬一瞬対応し生き抜くことが人生である。

2008年9月27日土曜日

■秋の大悲寺・阿部老師講演会

104年の歴史をもつ大悲寺の座禅会・秋田維摩会主催の大悲寺・禅の講演会が10月13日開催されます。無料ですのでどなたでもご参加ください。

講師は花園大学学長・安部宗徹老師です




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2008年9月24日水曜日

H20大悲寺の大坐禅会日程

大悲寺の座禅会・秋田維摩会のH20の大坐禅会日程が決まりました。
坐禅と夜7時からの阿部宗徹老師の講話はどなたでも参加できます。



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