2011年2月25日金曜日

■なぜ坐禅をするか(1)

芙蓉寺坐禅修行道場から


坐禅と心の柱
良し悪しは別にして、他国の人々の多くは宗教を持っている。心の支えであり、柱でもある。わが日本において、先の戦時体制の時は無理やり信仰を持たされた。それが終わると無理やり
?捨てさせられた。人々は皆、茫然自失。今までの事は何だったのか。何を信じて行けばいいのか。時移り、そしてもはやその事は忘れよう。誰しもがそう思ってそうして来た。
そうして物の豊かさを追い求めた。目的が達成されたと思ったら、何かが欠けていた。
である。
今、公には宗教を論ずる事は出来ない。その故か心の事が余りにも等閑にされている。
事の善悪を決め、行動の基準を決める確固たる信念が無い。無いことは無い。薄れてきている。だから直ぐに揺れる。風が吹けばそちらになびく。
建物でも人間でも柱が無ければしっかりしたものにならない。当然のことです。

昔、宗教と言うより社会体制が、少なからずその心の柱形成の任を果たしたのだが。
幸いにも日本には未だそれなりの心が残っている。これ以上は心の侵食を防がなくてはならない。そう思う心を形に行動に示して欲しい。

坐禅そのものは宗教でも何でもなく、誰の所有物でもない。
坐禅をもっと有効に活用して頂きたいと思う。

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